予算委員会の野党など

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3月2日に傍聴した参議院予算委員会で
民進党議員の質問を生で聴いた。

14:20福山議員の質問開始にあわせて
後方の議員用傍聴席に参議院予算委員ではない民進党議員が何人も座った。
そして政府側答弁者(官僚)に対して
「答えになってないだろ!」「ふざけるな!」
等のヤジを飛ばしていた。
ヤジと言うよりは罵倒に近い印象だった。

福山議員はほとんどの持ち時間を森友学園の土地取得問題に費やした。

福山議員:政治家の働きかけはあったのか?
理財局長:不当な働きかけは一切無かった。問い合わせには適切に対応している。
福山議員:不当かどうかは聞いていない!働きかけはあったのか無かったのか?
理財局長:問い合わせには適切に対応している。

働きかけの定義は不明確だが、言葉のニュアンスとしては
いかにも「権力による不当介入」を連想させる。
福山議員は、理財局長に対して「問い合わせ」ではなく「働きかけ」と言わせようと
延々と同じ質問を繰り返し、審議を止めていた。
さらに、面談記録を文書管理規定に従い廃棄したことについても
だったら担当した近畿財務局職員に聞いて確認したのかと質問する。
だが組織として規則通り適切に対応し処理したのであれば
現場職員の責任追及ともなりかねない事情聴取には慎重であるべきだ。
また、通告無しの突然の質問がいくつかあって
即答できない(当然だ)と汚いヤジが飛ぶ。

聴いていて心からうんざりした。

15:20からの杉尾議員の質問はさらにレベルが低かった。
この日発売になった週刊文春をソースにしていたのだ。
独自のソース無しに週刊誌の記事だけで質問するなど
国会議員として怠慢すぎると思う。
その一方で、文科省の天下りに関連して
さくらサイエンスプランを取り上げ
「中国人が多いが、多くは中国共産党幹部の師弟とも聴いている。
日本の科学技術が中国に流出する心配はないのか?」
との質問は杉尾氏らしくなくて、ちょっと意外だった(苦笑)。
次の、経産省の庁舎管理強化を「報道規制だ」と問題視した質問も
間の抜けたものだった。
世耕大臣の明確な答弁に歯が立たない様子で
時間オーバーで山本委員長に注意されながら
「安倍内閣は情報規制が厳しいのではないか?」
と麻生副総理に質問。
山本委員長:手短にお願いします。
麻生副総理:じゃあ、2秒で。違います!

傍聴人はヤジも拍手も禁止なのだが、
この麻生さんの絶妙の答弁に思わず笑い声を上げてしまい
慌てて手で口を押さえた(大汗)。

傍聴しなければ分からなかったことをもう一つ。
社民党の福島瑞穂議員の行動だ。
13:00に委員会が始まり青山さんが質問中の
13:06に離席して部屋を出て行ったのだ。
戻ってきたのは14:43。
福山議員の質問中だった。
そして民進党議員と一緒になってせっせとヤジを飛ばしていた。

福島議員は与党議員の質問を聴かなかった。
話し合い話し合いといいながら
自分と違う考えの人からは意見を聞こうともしない。
いわゆるリベラルな人たちが不寛容で不誠実であることの
実例を目撃したと思った。

参議院予算委員会を傍聴

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一昨日(2月28日)の夜、青山繁晴さんのブログに
「予算委員会で質問することになったので傍聴希望の方はどうぞ。」
との記事を見つけた。

国会議事堂の見学はしたことがあるが
質疑を傍聴できるなんて、またとない機会だ。
すぐにメールで申し込み
翌朝(3月1日)9:58に傍聴受付完了メールが届いた。
3月2日12:30に国会参議院側 西通用門に集合だ。

やったぁ!

今朝10:12発の新幹線で、山手線、有楽町線を乗り継ぎ

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12:14 永田町駅1番出口

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12:16 集合場所に到着。既に10名くらいの方が集まっていた。

程なく清水秘書が現れ、名簿で確認しながら
2列に並ぶように指示した。
私は5番目で、総勢35人だった。

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12:27 傍聴券が配られた。

12:35 門から中に入り、傍聴者順路に従って地下一階に誘導される。
そこで傍聴券に住所氏名などを記入するのだが
多くの方が既に記入を済ませていて
5番目だったはずの私は後ろになってしまった(汗)。

次の部屋で空港と同様の手荷物検査を受けたあと
筆記具と貴重品を除く全ての持ち物をロッカーに入れる。
コート、マフラー、帽子や
携帯、カメラ、集合場所をプリントした紙を含む一切の印刷物も
この先へは持ち込めない。
もう一度の手荷物検査で財布の中までチェックされた。

部屋から廊下を歩いて一つ目のエレベーターで一階へ、
さらに別のエレベーターで三階へあがり
廊下と階段を歩いて
控え室とトイレの場所を教えられ
傍聴心得として賛成反対の意思表示をしてはいけないことなどを確認されてから
12:50 第一予算委員会室に入った。

後の順番になってしまったために立ち見だが
質問者が見えやすい柱横の場所を確保することが出来た。
質問者席の青山さんが傍聴席の方に顔を向けたので
ばばばばっと肩のところで手を振ったら
青山さんも笑顔で振り返してくれた♪

13:00 午後の委員会が始まり、青山さんが質問に立った。
最初は拉致被害者の救出について。
北朝鮮情勢が混乱すれば救出のチャンスが訪れる。
それが現実味を帯びてきた今、日本はどうするつもりか?
日本政府として救出部隊を編成しなくてはいけないのでは?
救出部隊には自衛隊、警察、海上保安庁に加えて
厚労省(医療関係)、外務省(朝鮮語担当)も入るべきと思うがどうか?
省庁横断での救出部隊に対して予算措置をお願いできるか?

答弁は加藤拉致担当大臣、松本国家公安委員長、塩崎厚労大臣、
若宮防衛副大臣、薗浦外務副大臣そして麻生財務大臣が行い
全員が青山さんの提案をしっかりと受けとめて取り組む姿勢を示した。

青山さんは
部隊を編成し訓練を繰り返すこと自体が
北朝鮮に対する我が国の本気をアピールしプレッシャーになると
強く指摘していた。

13:20からは自前資源の実用化について取り上げた。
メタンハイドレート、特に日本海側の表層型メタハイを一刻も早く実用化し
国際情勢に左右されないエネルギー政策を進めるべきではないか?
資源エネルギー庁は海外からの資源調達を優先しすぎていないか?

世耕経産大臣が答弁し、
自前資源の確保・開発・活用・実用化に関して大変積極的な姿勢を見せた。
世耕さんは青山さんが議員になるずっと前からの知り合いで
質疑応答でも意気投合している雰囲気が感じられた。

13:35 最後に原発についての質問で
福島の原発事故がレベル7のままなのは科学的におかしい。
事故で放出された放射性物質の量は
現在の政府見解の100分の1~1000分の1という専門家の見積もりが出ている。
原子力規制委員会とともに環境省としても再計算・再評価をするべきでは?

答弁は原子力規制委員会に協力して進めるという内容だった。

13:40 青山さんの質問終了。
席を立つ傍聴者が複数いて、ここからは座ることが出来た。

13:40~14:20 自民党の小鑓隆史議員 農産物の輸出について
14:20~15:20 民進党の福山哲朗議員 森友学園、テロ等準備罪をちょっと
15:20~16:10 民進党の杉尾秀哉議員 森友学園、文科省天下り

の質疑を聞いて、退室した。

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16:27 先ほどと逆の順路で国会議事堂の外へ出た。

初めての国会審議傍聴で一番印象的だったことは
警備や案内係の方がたくさんいたことだ。
門から委員会室まで行くだけで20名以上の方のお世話になった。
国会は我が国の中枢であり、万一のことがあってはならない。
厳重な警備の中で、それでも傍聴者を入れるという開かれた体制を維持する。
そのための膨大な経費は、必要であると同時に決して無駄にしてはならない。

現在の民進党の質疑は余りにもレベルが低く
国会議員としての自覚や矜持に欠けると強く感じた。
この件については、改めて記事を書きたい。


16:52東京駅発の新幹線で
18:45帰宅。
今日の感想を一言で言えば
やっぱりライブは違う!

青山さんの講演会in高崎(2月5日)

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高崎青年会議所OB会の主催で青山繁晴氏の講演会があると知ったのは
虎ノ門ニュースで観覧に来られた関係者の方が
スタジオの窓越しにアピールされたからだった。

検索して、高崎新聞の記事を見つけ
そこにリンクされたポスターから申し込み方法が分かった。
長女達を誘ったが法事と重なり、
私一人で申し込んだのが1月18日。

2月5日(日)は11:00過ぎに家を出て11:38の新幹線に乗車。
高崎駅周辺でちょっと用事を済ませて
12:48の両毛線で高崎問屋町まで行き
受け付け開始30分前の13:00に会場に到着した。

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会場は高崎商工会議所エクセルホール。

ロビーには既に30人ほどが集まっていた。
椅子に腰掛けている人が多かったが
私は受付の机のそばに立って待機。
13:15を回った頃、予定よりも早く受付が始まった。
列の二番目で、足早に会場に入り
最前列をゲット♪

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13:45 開演時には500席が完全に埋まった。

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14:00 開演
JーNSC総会から3ヶ月ぶりの青山さんのライブだ。

青山さん、昨日は大阪で仕事だったはずで
例によって数日間ほとんど睡眠を取っていないとのことだが
張りのある大きな声で熱く語ってくれた。
既に何度も聞いて知っている話なのに、また感動して泣けた。

終盤になって
「僕のレジュメには結論が書いていない。何故だ?」
といきなりマイクを向けられ、焦りに焦ったが
あっと思いついて
「一緒に考えるために結論は書いていない!」
これが正解で会場から拍手を頂き青山さんとも握手できた♪
まずほっとして、
その後ぶわ~っと嬉しさがこみ上げてきた。
きゃぁ~~~♪♪♪

15:30終演の予定が30分延長となり
「もう新幹線に間に合わない~」と最後は走って
万雷の拍手に送られて会場を後にされた。
新幹線、間に合って乗れたかな?

同行の清水マミ秘書はハイヒールを履いていて、
いくら若い(二十代)といっても
あの靴で青山さんと一緒にダッシュするのはすごいと思った。
もしかして移動時はダッシュ用のシューズに履き替えるのかもしれない。

会場を出るときに
主催者の高崎青年会議所OB会の方に手作りチラシ3種と名刺をお渡しした。
まだ気付いていない方達への広報・啓蒙活動をするなら
少しは参考になるかもしれないと思ったからだ。

高崎問屋町駅まで歩き
高崎発16:50の新幹線に乗車して
17:50帰宅。

映画鑑賞「うさぎ追いし 山際勝三郎物語」

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夫に誘われて久しぶりに映画を見に行った。
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うさぎ追いし 山際勝三郎物語

作品紹介
近年、物理・化学・医学分野における日本人の功績はめざましく、世界的な賞であるノーベル賞を一度に複数人が受賞することも珍しくはなくなった。
100年以上の歴史を持つ同賞を日本人が初めて受賞したのは、今から60年以上前にさかのぼる。
しかし、それよりもさらに20年以上も前に、ノーベル賞受賞に値する画期的な研究成果をあげた人物がいた――それが、山極勝三郎である。
勝三郎は、世界で初めて人工的な癌の発生実験に成功し、その発生原因と治療法の解明に道を拓いた。
後年、数度にわたりノーベル賞の候補にも推薦され受賞には至らなかったものの、その研究業績は数多くの医学関係者に脈々と受け継がれている。
2人に1人は癌患者と言われ、その患者数は年間90万人を超えるという現在の日本。
今日まで続く癌との闘いに、勝三郎の研究成果がいかに大いなる影響をもたらしているかは計り知れない。
しかし、このような偉大な功績を残した勝三郎についてそう広くは知られていないのもまた現実だ。

本作は、知る人ぞ知る偉人・山極勝三郎の生涯を忠実に描きだした初めての劇映画である。
長野県上田市で生まれ育ち、わずか16歳で上京、他家へ婿養子入り。
病を患いながらも癌研究を成功へと導き、67年間で閉じたその人生は、妻・かね子の献身的な存在と郷里上田への愛に支えられていたといって過言ではない。
その一人の男の壮大なる生きざまを体現するにあたって、日本が誇る最高の役者陣が集結した。山極勝三郎に扮したのは、いまやその姿を見ない日はないほどの大人気実力派俳優・遠藤憲一。
学生時代~晩年までの40年間あまりを圧倒的な存在感で演じきった。
また、勝三郎の傍に寄り添い続けた妻・かね子を演じたのは水野真紀。勝三郎の良き理解者であった親友・滋次郎には豊原功補。
勝三郎とともに研究を成功へと導いた助手・市川には岡部尚、勝三郎の娘(晩年)・梅子には高橋惠子、勝三郎の恩師・三浦には北大路欣也。
死へ至る病・癌との闘いを一方に据えつつ、もう一方では勝三郎を取り巻く師弟愛や家族愛、友情、また生まれ育った信州上田への郷土愛を描き、生きることの喜びや豊かさに胸が熱くなる珠玉の1作がここに誕生した。
ーーーーー

上記の作品説明の通りの映画であった。
千曲川や別所線、信大繊維学部など見慣れた風景が随所に出てきて
とても楽しく見ることが出来た。
観客は私たちと同世代の方がほとんど。
上映は一日一回18:40~20:40だった。


映画の中でノーベル生理学・医学賞を逃したエピソードが取り上げられている。
実は山際勝三郎の時代、
医学生理学分野には世界レベルの日本人研究者達がきら星のごとく存在した。
まさにノーベル賞にふさわしい業績が目白押しだったのだ。
しかし日本人の受賞者は一人も出なかった。

1919年2月、第1次世界大戦後のパリ講和会議で
日本が国際連盟規約に人種差別撤廃条項を盛り込むよう提案したが
議長であったウィルソン米国大統領の強引な反対によって実現しなかった。
当時はそのような、白人優越が絶対の世界だったということだ。

我が国の自然科学研究が
明治大正の時代から既に世界の最高レベルにあったことを確認するために
以下、いくつかの例を挙げておく。

北里 柴三郎(1853 - 1931年) 1890年(明治23年)、破傷風菌抗毒素を発見し、さらに血清療法という、菌体を少量ずつ動物に注射しながら血清中に抗体を生み出す画期的な手法を開発。1894年(明治27年)、ペストの蔓延していた香港に政府より派遣され、病原菌であるペスト菌を世界で初めて発見。

高峰 譲吉(1854 - 1922年) 1894年(明治27年)、タカジアスターゼ(強力なデンプン分解酵素)の発見、医薬品として商品化。1900年(明治33年)、アドレナリンの発見(結晶化の成功)。これは人類が初めて生命体から取り出した「ホルモン」。

山極 勝三郎(1863 - 1930年) 1915年(大正4年)、世界ではじめて化学物質による人工癌の発生に成功。ひたすらウサギの耳にコールタールを塗擦し続けるという地道な実験を3年以上に渡って行い、人工癌の発生に成功。

鈴木 梅太郎(1874 - 1943年) 米糠を脚気の予防に使えることを発見。1911年(明治44年)オリザニン(後のビタミンB1)を発見。ビタミンという概念を明確に提示。1912年(明治45年)オリザニンを結晶として抽出。

野口 英世(1876年 - 1928年) 黄熱病や梅毒等の研究で知られる。1900年(明治33年)蛇毒の血清学的研究。1913年(大正2年)進行性麻痺・脊髄癆が梅毒の進行例であることを証明。数々の論文を発表し、ノーベル生理学・医学賞の候補に三度名前が挙がった。

再び朝日新聞の取材を受けた

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11月24日に自民党本部で話をした朝日新聞社会部のI記者から
そのメールが届いたのは12月16日17:01。
野次馬ツアーから帰る途中のことだった。

青山繁晴さんを支持する理由や経緯について
改めて話を聞きたいという。
夫の了解も得て、取材を受けることにした。

12月20日。
別件で午後に長野市まで行くというI記者と
10:00過ぎに駅前のカフェで待ち合わせた。

青山さんを知った切っ掛け、支持する理由などから始まり
7月の参院選で東京まで演説を聴きに行ったこととか
貰ってきたポスターを自宅のフェンスに張ったこととか
当選が危ういと聞いて子供達や友人に投票を頼み
ご近所にも一軒だけお願いに行ったこととか
実際の行動についての話をたくさんした。

ブログ(分室の方)の挨拶文と配布チラシを
プリントアウトして渡したので
私の動機とか目的なども、かなり具体的に理解してもらえたと思う。

約1時間20分ほど話をして、長野市へ向かうI記者と駅で別れた。
記事が掲載されるのは1月になってからの予定で
日が決まったら連絡をくれるそうだ。

あれこれ話した中の、どれだけが記事に使われるのか。
また記事がどういうスタンスでまとめられるのか。
袖すり合うも多生の縁。
朝日新聞の良き部分が発揮されることを、楽しみに待ちたい。