親も大変だと思う

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北海道七飯町で7歳男児が6日ぶりに無事保護された事件。

山道に置き去りにして行方不明になったと聞いた時
「なんという親だ」と思った。
仮にも我が子を危険にさらすようなことは絶対にしてはいけない。

しかし発見された男児の姿を見て
「これは親もさぞ大変だろうな」と同情心が沸いてきた。

私も3人の子育てを経験して
手を焼いたり途方に暮れたりしたことは何度もある。
それでも小学生の間は叱れば効いた。
いよいよ難しくなったのは中学生になってからだった。
幸い夫が「超怖い父」だったので
私の手に負えなくなったら父の出番。
逆に父がガツンとやって子供が「貝」になるケースもあり
その時は私がソフト路線で対応。

少なくとも小学生の間だったら
仮に人気のない林道に置き去りにしたら
泣いて追いかけてくるかその場に座り込んでじっとしている。
それ以外の行動は我が家の3人では想像できない。

おそらく七飯町の親御さんもそう考えたのだろう。
ところが実際には反対方向にずんずん歩いていき
その後無人の建物を見つけて水だけを飲んで6日間過ごしていた。
報道によれば発見されたときの男児の様子は極めて冷静だったという。

並外れてきかん気、気が強く体力も強く
親御さんは散々てこずった挙げ句
とうとう山中に置き去りをしてしまったのだろう。
これだけの大騒動になってしまい、非難されるのも致し方ないが
私は責める気持ちにはなれない。

ただ言えることは、子供はしゃべり始める前に
既に周囲の状況をかなり理解できている。
従って本当に小さい時からやって良いことと悪いことをきっちり教えて
叱るべきは叱らなくてはいけない。
例えば積み木をおもしろ半分でぶつけてきたら
怪我をしない力加減でぶつけ返して
痛いんだ、だからやっちゃダメと教える。

可愛い可愛いと何でも許して甘やかして
5歳くらいから突然厳しくしても、なかなかうまく行かない。
可愛がることと甘やかすことは別のことなのである。

男性の育児参加について

2月14日の記事では大きく二つの事を述べた。

一つは
制度上、出産後に保育に欠ける状態が生じるという切実な問題があって
それを解消することこそが
育児休業制度の最大の目的であったこと。

もう一つは
理想的な(最高の)子育てとは
「三歳までは母だけの手で」では決してないこと。

母だけではないなら、まず誰が登場するか。
言うまでもなく父である。
子供に一番近い存在であり一番責任ある立場だからだ。

長男が生まれたとき、夫とは別居中だった。
別に夫婦仲がやばかったからではない。
そうではなくて、
長野県に住んでいたときに見つかった私の仕事が宮城県で
2歳の長女と子連れ赴任し、夫を置き去りにすることになったのだ。
(この時、迷う私の背中を強く押して、送り出してくれたのが、夫である。)

500km離れて、片道8時間もかかる道のりを
3週間か1ヶ月ごとに、夫が通ってきた。
来ている間は炊事以外の家事を受け持ち、子供達の保育所への送迎もしてくれた。

夫は当然のこととして、全力で育児に協力してくれた。

次男が生まれたときには同居が実現していたから
長男の時とは比べものにならないほど多くの時間と労力を
夫は育児に投入してくれた。

満一歳の検診にも夫が連れて行った。
すると市の職員の方が
「これこそ男女共同参画だ!」と感激して写真を撮り
それが市の広報の表紙を飾ったこともある。

イクメンなどという言葉が出現するずっと前から
子育ては両親の共同作業であると考えて実行していた男性はいたのである。


子育ては長期戦である。
誕生直後からの育児休暇はそのほんの入り口に過ぎない。
保育所に預けるようになり、小学校に上がってからも
病気になったり行事があったりで
次々に仕事を休む必要が出てくる。
私も有休が足りなくならないか、ヒヤヒヤだった時期もあった。

そうしたとき男性も休みを取りやすい環境を作る取り組みは
女性が働き続けるために
これからも強めていく必要があるだろう。
男性の育休取得率が低いことにばかり拘るのも、どうかなぁと思う。

そもそも非正規雇用などで有休も満足に取れない職場もある。
国会議員の仕事とは、
そうした職場の労働環境を少しでも良くするための
法整備や制度を作ることのはず。

子供が生まれま~す!
だから僕も育休を取りま~す!

口先だけでイクメンを気取った国会議員の浅薄さは
腹立たしく気持ち悪い。

育児休業制度が実現した頃のお話

私が長男を出産したのは1989年11月。
国家公務員(研究職)で、宮城県のとある町に住んでいた。

当時、出産に関わる休暇は
産前6週間、産後8週間(多胎妊娠の場合は産後10週間)のみ。
一方、市立保育所は生後3ヶ月からの受け入れだった。
つまり、産休明けから生後3ヶ月までの保育をどうするかが深刻な問題だった。
その頃は生後8週間の乳児を預かるような私設の保育施設は無かった。

3歳の長女が既に市立保育所にお世話になっていたので
早くから先生方にお話ししてお願いして
11月生まれなら2月1日から、慣らし保育を経て受け入れて貰えることになった。

幸い長男は11月下旬に生まれてくれたため
産休明けから有給休暇を10日ほど取得させてもらって
何とか2月1日を迎えることができた。

この時点でゼロ歳児保育を実施している市立保育所は1カ所のみで
長女が通っている近所の保育所とは別の所だった。
朝、車の後部座席に固定した衣装ケースのベッドに長男を寝かせ
助手席に乗せた長女を一つ目の保育所に送ってから
長男を二つ目の保育所に連れて行き、出勤。
夕方は長女をピックアップしてから長男を迎えに行き、帰宅。

新年度4月から長女の通う近所の保育所に
新しくゼロ歳児クラスができることになってホッとしたのを思い出す。

元々、産前産後休暇は、母体の保護が目的である。
その後の保育の確保という観点は、全く無かったのである。

職場復帰してからは、組合の要求活動や署名活動に取り組み
満一歳までの育児休業制度の導入を働きかけ
最低限生後3ヶ月までは休めるようにしないと
保育に欠ける状態ができてしまう現実を強く訴えた。

働く女性の先輩達から続いてきた要求が実って
育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律(平成3年法律第76号)(通称:育児介護休業法)が
遂に1991年に制定、1992年に施行された。

その後長野県下に転勤して、1995年に次男が生まれた。
満一歳までは育児休暇が取れるようになっていたが
私は保育所に預けられる生後3ヶ月までのひと月強だけ休んで
速やかに職場復帰した。

長男出産時に、職場復帰してすぐ
重要な会議でのディスカッション中に
専門用語が出てこなくて冷や汗をかいたりなど
しばらくは勘が戻らないことを経験していたからだ。

それでも有休の残日数を気にせずにすむのはありがたかった。

都会では年度途中でゼロ歳児保育に入所するのは非常に難しい。
満1歳までの育児休暇は、女性が出産後も働き続けるために
必要不可欠な制度だと確信している。

その後育児休暇が満3歳までに拡張された。
仕事の種類にもよるし、個人差もあるだろうが
長く休めば職場復帰も大変だろうなぁと思う。


当時も今も「三歳までは母の手で」と言われる。
幼子は母が育てるべきだという意味だ。

しかしそれは決して「三歳までは母だけの手で」
ということではないはずだ。

子供達3人を育てる際に、実に多くの方達の手を借りてきた。
手を借り知恵を借り、本当に多くのことを教えられながらの育児だった。
しかし常に「育児の司令塔は母」と考え判断し行動してきたつもり。

子育てにおいて、どれほど物理的に手を掛けるかよりも
どれだけ多くの心を掛けるかこそが大切なのではないだろうか。
働きながら3人を育ててきた私の実感は、そのようなものである。

子供達を守るために

1996年、長女が小学校4年生の時、学級崩壊を経験した。

ある日の夕方、仲良しのIちゃん(同級生)のお母さんから電話が掛かってきた。
長女が授業中に、顔にドッジボールをぶつけられたのだという。
「○○ちゃん(長女の名前)泣いちゃって、すごく可哀想だった。」
とIちゃんから聞き、心配して知らせてくれたのだった。

長女から様子をよく聞いて
ボールをぶつけた複数の男子の家庭に、その晩夫が電話で事実を伝えた。
「ご家庭で話をしてほしい」と言うと、
どの家庭も「申し訳ない、子供によく言い聞かせる」との反応で、
その晩のうちに親に連れられて謝りに来た子もいた。

子供は自分が家庭外でいやな目にあったとかいじめられたとかを
話さないことが少なくない。
長女はいつも学校や友達のことをよく話していた。
にもかかわらずこの日の出来事を、聞かれるまで親には話さなかった。
もしIちゃんのお母さんが電話をくれなかったら、気付かないままだったかもしれない。
(担任の先生は全く機能していなかった。)
最悪の場合は登校拒否に至ったかもしれない。

ボールをぶつけた男子達にしても、この件で親に叱られたことで
自分が悪いことをしたと自覚し、反省した。
もしスルーされれば弱い者いじめがエスカレートしたかもしれなかった。

この時実感したのは、
子育てにおいて親同士の横のつながりが非常に大切だということだ。
自分のことは話さなくても、友達がどうだったこうだったという話はする子もいる。
小さな問題が大きな問題に拡大する前に
親同士の情報網で対処できる可能性は小さくない。

川崎市中1男子虐殺事件で一番に思ったことは
「一人でもしっかりした大人がいれば、こうはならなかっただろう。」
ということだ。

どこにでもたちの悪い奴はいる。
そのような奴らからの被害を最小限に止めるために出来ることとして
まずは各家庭で家族間のコミュニケーションをより活発にしてほしい。

そして「我が子さえよければ」ではなく、
その友達やクラスの子、近所の子へも思いを掛けてほしい。

我が子のことだけを考えて、我が子は立派に育ったとき
社会全体が殺伐として不穏なものとなっていたら
我が子は幸せになれるだろうか?
一人でも多くの子供達が健全な肉体と精神を備えたきちんとした大人に成長することを
目指す必要があるのではないだろうか。
我が子だけではなく、周りの子供達をも気に掛けることが
結果的に我が子の幸せにつながるのだと思う。


Iちゃんがお母さんに話してくれて、お母さんが私に知らせてくれて
夫が男子達の親御さんに伝えて、親御さんが叱って本人が謝りに来た。

日本中のあちこちで、こんな連携は今でもたくさんあると思う。
ただ今回の川崎ではそうならずに悲劇が起きた。

加害者の少年達がどうであるかよりも大事なことは
家庭内や親同士や地域の繋がりを強めて
こういう連携が当たり前に出来るようにすることだ。

18年前の出来事を改めて思い返している。

なお、加害者の親が「たちが悪いケース」もあるだろうから
そういう場合は加害者の親に言うよりは学校や警察に知らせるほうがいい。
とにかく我が子とその周りの子供達をどうやって守り育てるか、だ。

決して難しいことでは無いと思う。

最後の砦

大阪の高校で、運動部キャプテンの2年生男子が自殺した。

顧問の教師に何度もビンタを張られて口を切ったりしていたという。
自殺前日には30発とか40発殴られて、顔が腫れ上がっていたそうだ。

発憤させるための体罰?

常識的に考えて、そんな言い分は通らないでしょう。

生徒を大事に思う気持ち、生徒への愛情があれば、
絶対にこんなことはしない。できない。
どう見ても、この生徒が気にくわなくて
肉体的精神的に攻撃を加えていたとしか思えない。

キャプテンである生徒に対して、
「Bチーム(2軍)落ちするか?」と言ったそうだから。

圧倒的優位にある顧問教師という立場からの
究極のパワハラである。


多くの親は、まさか学校でこんなことが、と驚くだろう。
しかし現実としてこんなことがあるのだ。

3人の子供達を育ててきて、
人にも自分自身にも常々言ってきたことがある。

親は子供を守る最後の砦

世の中が平穏で、地域や学校が子供達を守ってくれているうちは
親が頑張る場面も無いだろう。
しかし現実には学校で我が子が危険にさらされることがある。
そうなったら子供を守れるのは親だけだ。

自殺した生徒の親御さんは、
我が子が命に関わる攻撃を受けている、
とまでは思わなかったのだろう。
それによって「最後の砦」が砦として機能しなかった。

悪いのは暴力顧問教師であり、
その教師を放任していた学校当局である。
但し、いくら彼らを厳罰に処したところで、
亡くなった生徒は帰ってこない。

死んでしまったらお終いなのだ。

教師でも児童生徒でもどこにでも、たちの悪い奴は必ず存在する。
そういう加害者を完全に排除するのは、残念ながら不可能だと思う。
ならば、そういう連中に我が子が出くわすことを前提に
親は我が子を見守り
いざという時にはすぐに行動を起こす。

自分がこの子を守る「最後の砦」なんだという覚悟と決意を
すべての親御さんに持って欲しいと
改めて、強く、願う。