小渕優子氏は担がれた御輿に過ぎない

超有力政治家の父親が急逝し、地盤・看板・カバンを引き付いた小渕優子氏。
40歳の若さで、既に衆議院議員当選5回だ。

最初はど素人だったとしても、10年以上も国会議員をやっていれば
もし本人が本気でこの仕事をやって来たのなら
何が法に触れるか位は分かっていて当たり前だ。

有権者対象の観劇会の費用を半分以上負担するなど
父親から引き継いだ後援会が旧態然とした感覚で接待し政治資金処理をしてきたのが
今回の問題だと思う。
30年前にはそれでよかったからと、
ベテランの実務担当者達が公職選挙法で禁じられていることをする。
それを放置してきたということは
10年以上も国会議員をやって来たのに、
未だに小渕氏自身に当事者としての責任感が身についていなかったと言わざるを得ない

昔、小野寺五典氏が国会議員に初当選(補欠選挙)したとき
有権者に「線香セット」を配ったことで公職選挙法違反に問われ
議員辞職し5年間の公民権停止となった。
小野寺氏は政治家の家に婿養子に入ったこともあって
ベテランの実務担当者達に言われるままに「線香セット」を配った。
それが公職選挙法に触れる行為だと知らなかったのだ。

小野寺氏はそのような逆境を乗り越え、再び国会に戻ってきて、
先般は初入閣で防衛大臣として素晴らしい仕事をした。


今回の小渕優子氏の問題を見て、
彼女は学ぶべきことを学んでこなかったことが分かった。
10数年経っても未だに担がれた御輿に過ぎず
政治家としては未熟であり無責任であり、
とても大臣が務まるような器ではない。

彼女を担ぐことで利益を得ている、あるいは将来利益を得ようとする、者達がいるのだろう。
彼女がもし政治家としての自覚と責任感と主体性を持ったなら
担がれることを拒否するかもしれない。
というか、誠実で賢明な人なら大抵はそうなる。
そうなっては困る周囲が、彼女が目覚めないように目覚めないように
この10数年間、仕向け続けてきたのかもしれない。

一部マスコミが気持ち悪いほど小渕氏を持ち上げてきた。
きっと彼女を担ぐ者達の仲間なのだろう。

私はそう思う。

プーチンのロシアと安倍政権の日本

最近まで私にとってロシアのイメージは

・日露戦争で勝利した敵国
・日ソ不可侵条約を一方的に破棄して、1945年8月9日に攻め込んできた敵国

の二つだった。
特に後者に基づく
卑怯(条約の一方的破棄)で残虐(満州での蛮行)な無法者(国際法違反のシベリア抑留)
というイメージが圧倒的で、
「ロシアなんて信用ならない」と思っていた。

この非常に悪いイメージは、少なからぬ日本人が抱いていると思う。
70年前に実際に経験したことだから、当然だろう。
しかしスターリン、毛沢東、ポルポトらの共産主義国家に共通する残虐性・非人道性を知った時
大東亜戦争末期の蛮行が、ロシアという国、ロシア人という民族の本質によるものなのかと
疑問に思うようになった。

あのときソ連軍の最前線には「囚人」達が送り込まれていたとの話も聞いた。
また日本人捕虜の方々が極寒のシベリアで過酷な強制労働に従事させられていたとき
ソ連の一般国民もまた貧困と飢えと思想的弾圧に苦しめられていたのだという。

ロシア革命前の帝政ロシア(1721~1917年)は他のヨーロッパ諸国にまさるとも劣らない文明国だった。
日露戦争時のエピソードに「ロシア人はならず者」的なものは聞かない。
だとすれば、
国民の民度や価値観において、ロシアは比較的まともな国なのではないだろうか。
どの国にも無頼漢はいるし、最前線で日本人に害をなしたのは主としてそういう集団だった。

ソ連とその中核をなすロシアへの悪印象はスターリンの時代に形成され
戦後教育で「アメリカは善、日本は悪、ソ連も悪」と刷り込まれてきたのだと思う。

グローバル化とは、アメリカの価値観、アメリカの流儀を世界中に広げようというものだ。
文化、歴史、価値観は「国柄」ともいうもので、それぞれの国の基本である。
グローバル化はそういった国柄を否定しようとする。

ソ連崩壊後のロシアでは、
オリガルヒ達が権力を握り、自分だけの利益のために国の富を海外へと流出させた。
オリガルヒ達にとって、ロシア国民やロシアという国はどうでもよいものだったのだ。
西欧・米国流の経済政策によって悲惨な目に遭わされたプーチンのロシアは
グローバル化とは一線を画している。

プーチンのロシアが目指すところは明確だ。

強いロシアを取り戻し,ロシア人の誇りを取り戻す。

オバマのアメリカよりもプーチンのロシアの方が
日本と日本人のことをよく理解していると感じる。

70年前に、日本もまたアメリカの落ちこぼれども(GHQ)にいいようにされて
国柄を否定され日本人の誇りを取り上げられた。

今、安倍政権の日本が目指すところは

日本を取り戻す、日本人の誇りを取り戻す。

安倍総理とプーチン氏はウマが合うとよく言われる。
お互いに他国に踏みにじられ辛酸をなめた経験を持ち、
自国の国益を守り誇りを守るために全力で働いている。

共通する部分が多いのだ。

お互いの立場がよく分かっているからこそ
ウクライナ問題後も
実効性のうすい制裁を科し合ったり、小規模な軍事演習をしたりして
敵対ポーズをとり続けている。
日露が仲良くすることが双方の国益にかなうと認識しているのだ。

安倍総理とプーチン氏がお互いを「信頼できる人」としていることが伝わってくる。

10月1日の産経新聞紙面に
「日本こそ対ロ制裁の旗振り役に」 木村 汎(北大名誉教授)
という文章が掲載された。

北方領土、竹島、尖閣とからめて、
クリミアを不法占拠したロシアを非難することが首尾一貫した姿勢だと主張した上で
「日本がウクライナ危機に際し米国の対露制裁方針に必ずしも賛同せず、何とかしてそれを逃れようとさえ試みるならば、どうであろう。日本の姿勢は身勝手な甘えん坊のように映り、米国をはじめ世界の各国に内心では蔑視され、事実上、G7内で仲間外れにされる危険さえはらむ。」
と結んでいる。

アメリカはロシアと遠く離れていて、いわば直接的な影響が薄い。
10月2日の記事にも書いたように、ウクライナ問題の切っ掛けにアメリカが裏で絡んでいる疑いさえある。
木村氏の主張は表面的な現象にのみ捕らわれ、
米国の意向に100%沿うことが日本の取るべき道だという、
極めて卑屈な結論に達している。
はっきり言って、これが専門家かと情けない気分だ。

アメリカはアメリカの国益第一で動く。
日本は日本の国益第一で動く。
日本の国益がアメリカの国益と一致しない場合は、
自分の頭で考えて判断して行動する。
安倍政権がまさにそうしているところだ。

「身勝手な甘えん坊のように映り・・・蔑視され・・・仲間外れにされる・・」
とは木村氏がそう思うだけ。なんという自信のなさ、自虐的なことか。
もう笑うしかない。

木村氏は1936年生まれの78歳だ。
9歳で大東亜戦争の敗戦を迎えた世代だから、戦前戦中の日本のよき姿は知らない。
WGIPどっぷりの米国崇拝者なのかもしれない。
ロシア研究者とのことだが、ロシアがとっても嫌いみたい。

プーチンとソ連崩壊後のロシアのこと

(この記事は7月の下旬に書きかけて、まとめ切れていなかった文章です。)

今年の2月、ソチオリンピック直後のクーデターに端を発したウクライナ問題。
ロシアのプーチン大統領は素早く毅然と対応し一歩も引かない。

この問題の背景を知りたいと思っていたところ
歴史通7月号に掲載された中西輝政氏の一文に出会った。
それを読んで、ソ連崩壊後にロシアが悲惨な状況を経験したことを知った。

中西輝政(2014) プーチンの一撃 歴史通2114年7月号 p162-179
によると、
1990年代の10年間、
ロシアでは経済の10数パーセントのマイナス成長、
途上国にしかない疫病が流行し、
厳寒の冬に餓死者が出るなど、社会と経済は大混乱を来した。
そこにアメリカのジェフリー・サックスを初めとする西欧新自由主義のエコノミスト達が
経済顧問として乗り込み、経済構造改革を押しつけた。
それらが全て失敗して1998年にはロシア経済はデフォルトに至った。
当時のロシアでは、ハーバード大学の院生程度の若いアメリカ人エコノミストが
ロシアの経済官庁のトップを顎で差配し、ロシア経済を破綻へと導いていった。
国有財産は民営化され一部のオリガルヒ(新興財閥)に富と利権を独占され政治は腐敗した。
安全保障面でもNATOの東欧諸国への拡大が進み、
「旧ソ連圏にはNATOあるいはミサイル防衛網は広げない」
という約束は反故にされてしまったのだ。

欧米、特に米国は信用ならないと
プーチンおよびロシア国民が考えるのはもっともだと思う。

そもそも、クーデター後に樹立された暫定政権が、
ロシア語を公用語からはずすと宣言し
ロシア系国民の権利を大きく侵害する政策を打ち出したことが、
ロシアのクリミア併合を引き起こした。
クーデター自体も、
CIAが1950年代から中南米や中東で散々やってきた政権転覆と似ている気がする。

これらの背景を知れば、
プーチン大統領の反応は決して過剰とは言えないのではないか。
ロシアのクリミア半島併合を
「力による現状変更であり絶対に認められない。」
と責任ある立場の方々は言うが、
クリミア半島が1700年代からロシア帝国とロシア(ソ連)の領土で
1954年にソ連内でロシアからウクライナに移管された歴史を勘案すれば
そう単純な話でもないことに気付く。
ましてや
「ロシアのクリミア併合を認めたら、支那の尖閣占領にお墨付きを与えることになる。」
といった主張は、短絡的過ぎると思う。


さて、ソ連崩壊後のロシアにおけるプーチンの功罪ついて
とても分かりやすい記事を見つけた。
参考文献が無く裏付け調査などはしていないので
信憑性は保証できないが、私自身は興味深く読んだし
だいだいそういうことだったんだな、と納得した。

以下はリンク切れに備えてテキスト部分のみの転載。
文中で私が特に注目した部分は、赤字で表示した。

リンク先の本文には画像も多く、質問や補足等もあるので
興味を持たれた方は是非そちらで読んで欲しい。

プーチンのガチで恐ろしい話を淡々と語る
2013年07月04日
オリガルヒ(ロシア新興財閥)とプーチンの仁義なき政争についてのんびり書いてく
他になんかあったら書いてってください

まずオリガルヒのやばさについて説明していきます
オリガルヒとは寡頭制(Oligarchy)を語源とし、ロシアが共産主義体制から資本主義体制に移る過程で発生した強力な資金と政治力を持つ新興財閥のことです
共産主義時代のエリート層であるノーメンクラトゥーラが、自由主義に移る過程で暗躍し発生しました

日本で財閥と言えば三菱や住友、さらに巨大企業である川崎や日立がイメージされますが
そういった財閥とは少し性質が異なります

共産主義下では莫大な利益の出る事業であっても政府が管理していたので、巨大企業や企業経営者で強力な政治力を持つ人物は抑えられていました
しかしその体制がゴルバチョフ時代に変わり始めます
経済が停滞したソ連が自由資本主義体制を導入し、企業を抑えていた制約を外していったのです

日本とかと同じような競争社会になるだけじゃないのか?と思われるかもしれませんが
しかしそれまで長い間政府に管理されていたソ連経済界はその運営ノウハウを知っている人物が少なかったのです
しかも共産主義による仕事の分化が定着してしまっていました
ようするに自分の仕事さえやってれば給料入ってくるし、それ以外の仕事やっても金変わらないから他の仕事への知識を持とうとする人物が少なかったのです

よって、ごく一部のいち早く資本主義の性質に気付いた者は他を出し抜き一気にのし上がれたのです
何名かオリガルヒの例をあげます

ボリス・ベレゾフスキー
ただの数学者のおっさんでしたが、資本主義体制への移り変わりのチャンスを見抜き企業家に転身

「当時ソヴィエト市民が手に入れたいものは二つ、一つは自家用車でもうひとつは個人住宅です。そこで私は車のビジネスを始めようと考えました」

ベレゾフスキーは国の輸出奨励政策を利用し、輸出用の国産車を格安で仕入れました。しかし、それを輸出せずに国民に公定価格で販売したのです。
輸出とは名ばかりのビジネスでした。

「まとまった金を手にしたのはアレが最初でした。数百万ルーブル、当時としては相当な金額です。幸先のいい滑り出しでしたね」

こうして初期資本を手に入れると一気に事業の幅を広げ最初期のオリガルヒとなります

オリガルヒは基本的に政商(政府(政治)や官僚との癒着(官民癒着)により躍進を遂げた企業グループ)ですが
最初から政治への影響力が巨大だったわけではありません
首脳がゴルバチョフからエリツィンに変わり、アメリカやユダヤが積極的に参入してきたころから変わり始めます

ロマン・アブラモヴィッチ
孤児として育ち、石油業界の下っ端から成り上がっていきます
サッカークラブ、チェルシーのオーナーとして有名で現在でもロシア最高の富豪で公表しているだけで純資産187億ドルを保有します
1999年12月の下院選挙でチュクチから立候補し当選した。翌2000年12月にはチュクチ自治管区知事選に立候補し当選
現在のオリガルヒ筆頭と言える存在です

彼だけでなく、オリガルヒにはエネルギー関係の人物が多くいます
電力会社やガス会社が力を持つのは日本でもそうですが、ロシアの場合は資源産出国なのでその力は桁違いです
その力を政府が管理していたのですが資本主義体制に移行する際に、まとめてかすめとっていったらこれほどの資産を持つことになります

エリツィンの時代には共産主義の基盤は揺らぎ、それまでの共産党独裁時代と違い政治闘争がかなり激しくなっていました
そこで彼は支援者を欲するようになりました

その時に登場したのが自由主義体制で資金力をつけ始めていたオリガルヒでした
オリガルヒは豊富な資金力をバックにさまざまな事業を展開し、莫大な金以外にも多くの雇用に関係していましたし
なによりも生活の基礎であるインフラを支配していました
彼らの力があればエリツィンはその政治力を保てると思い積極的に繋がりを持ち関係を深めます

当然、オリガルヒは力を提供するだけでなく見返りをもらいます
それこそが政治力でした

さまざまな政府の役職にオリガルヒの人員が入りこむようになり始めると同時に
オリガルヒは各種情報媒体への影響力も強めます
マスコミを買収し、メディアを支配していったのです

ここでの買収とは裏金とかじゃなく、メディア企業そのものの買い取りです
ここが日本の財閥との大きな違いでもあります
ちなみにオリガルヒはインフラ、銀行、軍産複合体などを支配していたのでメディア買収でヒトラーの言っていた国の支配に必要なものを全て揃えたことになります
こんなやつらとプーチンは戦うことになるのです

もう一度政府管理下に置くことになる共産党の政権奪取を恐れたオリガルヒは、再選を目論むエリツィン大統領と利害が一致し、1996年の大統領選挙において、エリツィンを支持し
再選に大きな貢献をした。特に新興財閥は支配下の各メディアを使ってエリツィン支持の世論形成に大きな役割を果たしました
大統領選挙後、新興財閥は影響力を強め、ポターニンは第一副首相、ボリス・ベレゾフスキーは、安全保障会議副書記やCIS執行書記などの政府高官の位置を占めたほどである。
特にベレゾフスキーは、エリツィン選対責任者で、第一副首相、大統領府長官、蔵相となったアナトリー・チュバイスやエリツィンの次女で補佐官となったタチアナ・ディアチェンコと強い結びつきを持ち
「政商」や「政界の黒幕」の名をほしいままにした。彼らエリツィンを中心とした側近集団は、後にセミヤー (Семья: 家族の意。俗にエリツィン・ファミリー "Семья" Ельцина) という一大派閥を形成するに至ります


これでだいたいのオリガルヒの説明は終わります

ここからプーチンはメディア、軍、インフラ、金融全てを支配する者たちから政治を取り戻す戦いを行うのです
しかもソ連の変革期ですから裏金や情報操作といった違法なことはなんでもござれですし
ぶっちゃけた話オリガルヒは暗殺すらしています

そんなこんなでオリガルヒが盤石になり、当然のように汚職と富の独占を行うようになる中
プーチンはエリツィン政権の末期に頭角を表してきました

彼はKGB出身である程度情報機関にコネがある状態から政治に参入しています
しかし彼は政治参加した初期からこのエリツィンに重用されるようになるまであまり過激なことや派手なことは行っていません
オリガルヒや他の政敵からの評価は「おとなしい物静かで有能な人物」と言った程度でした
現在の「強いリーダーシップを持った政治家」というイメージからはかけ離れていますね
しかしプーチンは大学の論文で「豊富な資源を国家管理下におき、ロシアの内外政策に利用する」というテーマで学位をとっており
かなり初期からオリガルヒとの敵対を予期し、強行に出る機会を狙い猫を被っていたことが分かっています

1998年5月にプーチンはロシア大統領府第一副長官に就任した。ここでは地方行政を担当し、地方の知事との連絡役を務めたが、後にプーチンはこの職務を「一番面白い仕事だった」と振り返っている。
同年7月にはKGBの後身であるロシア連邦保安庁(FSB)の長官に就任。
この時、ボリス・エリツィン大統領(当時)のマネーロンダリング疑惑を捜査していたユーリ・スクラトフ検事総長を女性スキャンダルで失脚させ、首相だったエフゲニー・プリマコフのエリツィン追い落としクーデターを未然に防いだ。

この功績によりプーチンはエリツィンの信頼を得るようになります

ここまでならオリガルヒに対抗できるような勢力ではないのですが、ここから一気にプーチンは加速します
プーチンはエリツィンによって1999年8月9日に第一副首相に任命されると、なんと同日にセルゲイ・ステパーシンが首相を解任されたためそのまま首相代行に任命されます
化け物だらけのロシア政界のライバルを完全に出し抜き、エリツィンはこの時明確にプーチンを自身の後継者であると表明することになるのです
それからすぐに第二次チェチェン紛争でプーチンは強硬姿勢を貫き、国民に「強いリーダー」のイメージを強烈に、そして一気に広めます
有名な便所に追い詰めるだの殺すだの言ってる例の画像のやつですねw

当時、次期大統領選のプーチンの有力な対抗馬として元首相のプリマコフがいましたが
この後の選挙で敗退すると、なぜかあっさりと彼は引退してしまいます
健康上の理由だそうです、仕方ないね

-(質問)大統領と首相って違うの?-

違いますがちょっとロシアの変革期の大統領と首相のパワーバランスは難しいので省かせていただきます
どなたか説明できる方いたらお願いします

-ー(質問への回答)
大統領は日本でいえば天皇陛下に相当するけど、非常に強大な権利を有している
連邦軍の最高指揮監督権、戒厳令・国家非常事態宣言を放つ権利、議会で可決された法案の拒否権、
下院(日本における衆議院)の解散権、国民投票の実施権、首相など政府要職の指名・任命権などを持つ
大統領令は議会の同意を得ずとも、国家の栄光のための政令を国内に出すことができる
首相はそのまま日本でいえば首相の権限が減り、ほぼ官房長官に近いと思ったほうがいい
主に大統領の補佐、連邦政府の基本指針を決め、連邦政府の代表者となる、副首相・各閣僚の任命権を持つ

単刀直入に言えばロシアの首相は大統領の部下であり大統領が表に出れないときの代理人-ー 


ここからプーチンの大統領出馬に移ります

この時点でプーチンは混乱するロシア政界を完全にリードし、他の政治家と一線を画すようになります
今だから言えますがおそらくオリガルヒはここで判断を間違えたのでしょう
プーチンを「エリツィンと同じように保身のために我々オリガルヒの力を必要とする」その程度の人物であると思い過小評価していたのです
まぁ議員、官僚、軍産複合体、メディア、インフラ、金融を支配していたのですから普通なら慢心ではなく当然の自信だったのでしょうが

同年12月31日に健康上の理由で引退を宣言したエリツィンによって大統領代行に指名されプーチンの大統領としての
そしてオリガルヒとの戦いが始まります

大統領代行となったプーチンが最初に行ったのは、大統領経験者とその一族の生活を保障するという大統領令に署名することだった。
これは、エリツィンに不逮捕・不起訴特権を与え、エリツィン一族による汚職やマネーロンダリングの追及をさせず、
引退後のエリツィンの安全を確保するものでした
そしてこれを見た他国の人間、ロシアの民衆はこう思いました

「プーチン自身もこれで保身になるな」

オリガルヒもまた、そう思いました
そして恐らくそれは正しいのですが、保身に走った人間とは思えない行動をプーチンがとるとはだれも想像できませんでした
ある意味これは駆け引きの一つだったのでしょう

しかしプーチンは既にオリガルヒとの対決を決めており、着々とその布石を敷いていきます
当然、それとわからないように。

プーチンは大統領選挙で過半数の得票を受け、圧倒的な支持率を達成します
プーチンは「強いロシア」の再建を目標とし、地方政府が中央政府の法体系と矛盾した法律を乱発するなど
いろいろ制御がきかなくなってヒャッハーしていた地方政府の管理を行い、中央集権を強めます
具体的には2000年5月、ロシア全土85の地域を7つに分けた連邦管区を設置し、各地域の知事を大統領全権代表に監督させました

中央政府によって地方への支配力を強め効率化を図る、というのが目的ですが
この政策は「地方の政治への大統領の影響力の拡大」になっています

ここでようやくオリガルヒはちょっと怪しく思い始めます
地方での権力濫用と汚職はオリガルヒの支配下だったからです
この時に各種メディアによって「強引で独断的だ」という意見がでています

しかしプーチンはチェチェンなどの強硬姿勢で民衆にある程度の指示を得ていましたし
1998年のロシア金融危機で打撃を受けた経済が回復し成長を続けたタイミングが重なり
圧倒的な支持率を持っていました

いい忘れましたが、プーチンが大統領になるちょっと前から民衆の間ではオリガルヒが資本を独占し権力を持ち過ぎていると批判がでてきていました
オリガルヒという名前は一般的ではありませんでしたし、かなり漠然とした勢力でしたが

プーチンは様々な税制改革を行い経済の活性化に成功しますが
同時にその政策により横行していた脱税や汚職を減少させます


これによりロシア政府の国庫は潤い、市場でも自由経済が活発化し外資などが入りオリガルヒの独占が崩れ始めていました

そしてある程度ロシア経済の安定成長と政府の安定化に成功したプーチンはついにオリガルヒとの明確な対決を開始します

まず政治家や官僚にKGBや軍出身のプーチンの息のかかった人物を大量に登用し始めます
オリガルヒの政治勢力の減衰と自身の政治基盤の強化を同時に行ったのです
当然オリガルヒは反発し、保有するメディアを使いプーチンを批判します
「彼は独裁を行い、保身のためにコネ採用ばかりしている」といった具合にです

オリガルヒの筆頭であるベレゾフスキーは
「私は知り合いを通じて、公共テレビを民営化する必要があるという考えを広めました。」と言っています
1994年にわずか数億円でロシア公共テレビを手にいれています

エリツィンなどのそれまでのロシアの政治家はこの金とメディア戦略によって屈服していました
屈服と言ってもある程度妥協しオリガルヒを優遇してあげれば自身にもオリガルヒから莫大な報酬が払われるのですから政治家たちはむしろ喜んで彼らと協力したのです

しかしプーチンは違いました
あらかじめ支配していたメディアや民衆の間に浸透させた自身の勢力を使い対抗します
その情報戦は彼が政治家として基盤を固めるため、かつてオリガルヒの協力の元で堂々と作っていたものでした

そして抑制策をすると同時にプーチンはオリガルヒへの懐柔策を獲ります
自身に協力し政治への影響力を減らすのならある程度の権力と財力には手をださない、と言ったようにです
これはそれまでの政治家たちとオリガルヒの癒着とは明確に違いました
パワーバランスが「プーチン個人>>>全オリガルヒ」としようとするものだったのです

まるで個人のようにオリガルヒを扱っていますが、オリガルヒは新興財閥の総称であり決してまとまった意志を持つ組織ではありません
むしろ自由資本主義の競争の中で生まれた互いに市場で優位に立とうとする「普通の企業」と言えるかもしれません
まぁ違法的なことをやれるので普通ではないかもしれませんが

そしてオリガルヒの連携を阻止しながら、プーチンはついにオリガルヒの抹消に動きます

2000年6月13日、ロシア検察当局は、ウラジーミル・グシンスキーを詐欺などの容疑で逮捕したのです

グシンスキーはイスラエルとスペインの国籍を持つ有力なオリガルヒです
若いころは演劇を志し演劇専門学校をでています
後に西側の企業のロシア進出に協力し、銀行を支配する巨大な財閥を作り上げます

当然いろいろ黒いことをしていたので逮捕は妥当なものでしたが、そんなこと他のオリガルヒも
他の多数の政治家も官僚も企業家もみんな似たような違法行為をやっています
そうしなければ共産主義崩壊の中で生き残れなかったのですから。

しかしプーチンと敵対する彼が突然逮捕されました

オリガルヒでありユダヤ人でもあったグシンスキー逮捕にロシア財界は震撼します
しかしプーチンは驚きから立ち直る暇すら与えませんでした
7月11日には、ガスプロムに対しては、財務関係資料提出を要求。 ルクオイルに対しては、脱税容疑で捜査を開始。
インターロスに対しては、ノリリスク・ニッケル株取得の際の違法性を指摘します

この一連の事件によりグシンスキーやベレゾフスキーは壊滅的な打撃を受けます
メディアのバッシングは当然強まりますがメディアの影響が出る前に倒してしまったのです

オリガルヒが支配していたメディアはそっくりそのままプーチンの勢力に早変わりします
もともとオリガルヒは富の独占や汚職だけでなくどうどうと多額の脱税を行っており民衆からの批判は強く
また、その批判には正統性があったためプーチンはメディア戦略で圧倒的優位に立つこと
になります
もちろんオリガルヒはまだ支配しているメディアで抵抗を続けますが彼は意に介しません
今日の日本でのプーチンの独裁的で強権的で無茶苦茶なことをする、というイメージはこのときに広まりました

ですが時間がかかりすぎるその戦略は、投票で過半数の支持を得るほどのプーチンを倒すにはあまりに効果のない策と言えました

ここまでの描写ではまるでプーチンが正義の主人公のように思われるかもしれませんが
彼も同じように汚職をしていますし、なによりも戦争や暗殺すらいとわない彼を正義と言えるのかは微妙です
すでに49人のジャーナリストがロシアで殺され3ケタ近い政治関係者やジャーナリストが行方不明になっています
有名なのはプーチン批判をしていたら自宅で銃殺されたアンナ・ポリトコフスカヤ
放射能で暗殺された亡命スパイのアレクサンドル・リトビネンコなどがいます

そしてこれらは現在でも続いています

ちなみにこのときチェルシーのオーナーで有名なアブラモビッチさんはプーチン側につくことにしています
プーチンに協力することである程度制限された中でも利益を上げ続け後にロシア最高の大富豪になります
彼以外にも多くのオリガルヒがプーチン側に傾き始めていましたがまだまだオリガルヒは強い影響力を保持しており
それを削り取り、なによりもこれまで政治を支配する側だったのに、従順になるように求めるプーチンに反抗する者が数多くいました

そんな者たちがまとまりプーチンを潰そうとする中、彼はまるで何も恐れないかのように行動します

エリツィン政権下でオリガルヒともプーチンともつながりをもち、有力な政治家であった、ボリス・ネムツォフの仲介のもと
オリガルヒを集め、プーチンと話し合いの場を持つことになります
反プーチン派のオリガルヒは団結し彼に対し圧力をかけようという思惑を持ちながらその場に赴きます

そして数多のオリガルヒが集まった円卓会議の席が始まりました
各種の財閥がそれぞれの思惑を暗喩するように話しをする、まさにドロドロの経済・政治闘争が進められる中
プーチンがオリガルヒ全員に向け宣言します

 エリツィン時代のような財閥の政治介入は容認しない
 一切だ
       
オリガルヒたちの圧力などまるで意に介さぬように
駆け引きなどまるで無視し
場の空気を自ら作り、支配し
プーチンはオリガルヒたちの運命をはっきりと告げたのです

そしてここから急激にオリガルヒたちの反抗は減っていきます
彼らは本来の企業の務めである本業に専念するようになり、余計な権力獲得に走らなくなっていきました

それでもプーチンにとって邪魔な勢力は容赦なく叩き潰されました
プーチンを批判し野党を支援し、かつてのように政治権力を持とうと増長した石油会社の社長ミハイル・ホドルコフスキーは
プーチン政権の望まぬ石油合併を強行しようとしたため2003年10月に、脱税などの罪で逮捕・起訴されます
ちなみに彼はアメリカの企業との提携を強めようとして潰されました
裁判で禁錮9年が言い渡されましたがそれでも批判をやめない彼に対しプーチンは「数十年でも監獄にぶちこんどくべきだ」と言っています

その後オリガルヒはプーチンに従順な者たちばかりになりながらも、ロシアの経済成長の恩恵を受け
彼の支配の下で莫大な金を得ることができました
しかし首輪に繋がれたその状況にオリガルヒが安住するはずがなく、根を張り巡らすように影響力をじわじわ強めます
そしてプーチンはこのころにようやくかつてオリガルヒがやってきたメディア戦略の効果がではじめ
批判が噴出するようになり支持率が下がり始めます
証拠がないにもかかわらずジャーナリスト殺害などの犯人だと決めつける報道がその典型です
これにはロシアの復活を恐れる諸外国の影響もあります

プーチンがかつてのような力が無くなり始め、オリガルヒが力を取り戻し始めた矢先の2007年
世界的大事件が起きます
サブプライムローンに端を発する世界金融危機です

ロシア株式市場が暴落し、オリガルヒたちは巨額の損失を抱えます
長者番付にランクインするような十億ドル以上の資産を持つ富豪は激減しました
打撃を受けた彼らは政府、つまりプーチンに助けを求めます

プーチン政権も危機的な状態でしたが、そこでうろたえることなく利用したのです
政府の資金でどの新興財閥を救済するかを選定。選定された財閥は生き残ることが出来る
(但し、政府のコントロール下に置かれる)が、選定されなければ容赦なく没落していくという状況にし
復活しつつあったオリガルヒの首輪を逆に締め付けます

これによりプーチン政権とオリガルヒの政治的な立場は揺るがぬものとなり
ようやくプーチンは彼らとの戦いに区切りをつけることができたのです

その後、ロシアの富豪たちは復活し、世界的な不況にもかかわらず金融危機以前よりその資産を増やしています
2010年末の段階で10億米ドル(約832億円)の資産を持つ人の数は過去最多の114人となりその後も増えています
しかし彼らはかつての「オリガルヒ」と呼ばれ政治に介入し恐れられた存在ではもはやなくなり
他の資本主義国家にある財閥と同じ、企業になっています


長らく語ってきましたがひとまずここでこの話は終わりにさせていただきます


おまけ
ベレゾフスキーさんの最期
数学者から身を興し「黒幕」とか「政商」の名をほしいままにしロシアの頂点まで駆け上がった彼はプーチンと敵対後失脚
資産を失い横領疑惑などでベレゾフスキーへの追及を強め、逮捕を恐れたベレゾフスキーは国外に脱出した。
2002年10月、本人不在のまま、最高検察庁は、詐欺の罪でベレゾフスキーを起訴した。亡命先のイギリスではプーチン政権に対する批判を続け
2007年4月13日付けのガーディアン紙のインタビューでは「プーチン政権を武力によって転覆しなければならない」と発言した

2013年3月23日 イギリスで彼は自殺した
かつては実業家として巨万の富を得たベレゾフスキーであったが、最近の生活は妻との離婚訴訟に関わる費用や慰謝料、さらにはロマン・アブラモヴィッチとの訴訟も抱えるなど多額の出費を強いられており、
アンディ・ウォーホルの「赤いレーニン」などの美術品や、1927年型ロールス・ロイスなどのクラシック・カーといった所蔵するコレクションを次々と売却するなど、資金繰りに窮していたとされる

彼の持っていた株式などはプーチン派のアブラモビッチが保有することになっている


~終わり~