遂にクルド人の国家樹立か?

クルド人は、トルコ、イラク、イランとシリアの国境地帯にまたがって住む中東の先住民族で、
人口は約3000万人。
現在、世界最大の「独立した祖国を持たない民族」である。

クルド人の住む地域はクルディスタンと呼ばれ
オスマン帝国の時代にはその一地域であったのが
オスマン帝国の滅亡に伴い、上記の4つの国に分断された。
クルド人はそれぞれの国で
「少数民族」として同化政策や弾圧の対象とされてきた。

アララト共和国(1927~1931年)やクルディスタン人民共和国(1945~1946年)として
独立したこともあったが
短期間でトルコやイランに占領され崩壊した。

現在でも4つの国それぞれでクルド人の独立や自治を求める戦いが続いているが
自国内のクルド人を弾圧する一方で隣国のクルド人を支援するというような
「分断政策」で対立を煽ることを各国政府がしてきたため、
国境を越えてクルド人が協力することが難しく、独立が果たせていない。


1月12日の産経新聞に掲載された山内昌之氏の解説によると、
シリアとイラクの政情不安に乗じた自称イスラム国の勢力拡大が
結果としてクルディスタンの独立を促すことになっているという。
自称イスラム国の敵は、今やアサド政権でもバグダッドのイラク政府でもなく
クルド人だというのだ。
19世紀から分断されてきたクルド人が遂に独立を果たす瞬間、
歴史が大きく動く瞬間を
今私達は目の当たりにしているのかもしれない。

以下に山内氏の解説全文を転載するが、特に興味深いと思った部分を赤字にしてある。

【歴史の交差点】明治大特任教授・山内昌之 イスラム国とクルド独立
 中東ではイスラム国(IS)の台頭に隠れ目立たないが、大きな変動が着実に進んでいる。それは、国をもたないクルド人が、北イラクを中心に独立国家への道を歩んでいることだ。

 ISは、2014年8月にイラクのクルド地域政府(KRG)への本格的な攻撃を始めたが、それはトルコ、イラン、シリア、イラクに分散しているクルド人に国民形成と国家建設を促す大きなきっかけとなった。しかも、KRGを北イラク地方の自治政権から、米欧にとって国際政治に死活的な存在に転換せしめる触媒にもなったのだ。

 KRGとISは、イラクとシリアにまたがる地域を迅速に占領することで、国際的に承認された既存の国境線をぼやけさせ、イラクとシリアの分裂が残した政治的真空を満たそうとしている。双方ともに、自治の強化や独立国家の既成事実化を図るために、1千キロにわたり直接に「国境」を接する互いの存在を強く意識するようになった。かれらは、相手を映し出す鏡におのれの姿を見ているのだ。

 そもそもISがKRGと衝突したのは、昨年6月にISがイラクのティクリットとモスルを占領した同じ月、KRGがISの狙う石油地帯キルクークを占領したからである。イラクのクルド人支配地域が40%ほど拡大するに及び、ISにとってクルドとの対決こそ主要軸となり、バグダッド政府やアサド政権はゲームの脇役に追いやられた

 ISは、6月に指導者バグダディをカリフ(預言者ムハンマドの代理人)とするイスラム国家の建設を宣言した。こうしてシリアとイラクとの国境が無視されると、領土的に新たな「無人地帯」が現れた。それは、クルド人とISが影響力を競い合う地域と言い換えてもよい。

 国境線の希薄化はクルドにも利点がある。12年夏にシリアのクルド人地域(ロジャヴァ)は事実上の自治を獲得し、KRGとの協力と新たな共通国境を模索した。ISによるKRGとロジャヴァへの攻撃は、対立していたシリアとイラクのクルド人に共通の敵と対決する必要性を痛感させるに至った。

 この機運は、4国にまたがるクルディスタンの全体に広がった。
イラン・クルディスタン民主党の部隊は、KRG国防省の指揮下にあるアルビルの南西地域に派遣され、トルコのクルディスタン労働者党とそのロジャヴァの直系組織たる人民保護軍は女性も含めてシリアとイラクでISと戦っている。

 いちばん劇的な変化は、長くイラクの一体性を主張してきた米国で起きた。オバマ大統領はISに対抗するクルド支援の必要性に寄せて、イラクと別にクルドの名を明示的に挙げるようになった。米国をはじめとする有志連合による空爆は、不活発なイラク国防軍のためでなく、戦場のクルド部隊のためなのである。有志連合はKRGに依拠する以外に対IS地上戦略の足がかりがないのが現状なのだ。

 クルド民族は、かれらの歴史と伝統において異次元の世界に入ったといえよう。その独立国家宣言は時間の問題のように思える。

呆れた母親の記者会見

テレビを付けたら、自称イスラム国の人質・後藤健二氏の母親の記者会見をやっていた。
またまた日本外国特派員協会である。

石堂順子と表示されていて、
「名字が違うんだ!」というのがまず気になった。
すると
「昨日、その奥さんと名乗る方と始めて電話で交信いたしました。」
と言うから驚いた。
奥さんと名乗る方?
今まで全く行き来がなかったわけ?
じゃあ、要するに息子夫婦とは絶縁状態だったということか。

「自宅前で記者に囲まれて取材を受ける」とか
「書面でコメントを発表する」というくらいならまだしも
外国特派員を集めて賑々しく記者会見をする母親に違和感を感じた。

そのうち「原子力反対」みたいなことを言い出したので、
これは一体何の会見なのかとあきれ果ててしまった。

その後、この石堂順子というのが何者かが分かった。
ピースビーンズジャパンという
「弱者の救済を行い、広く社会に貢献することを目的」とした団体の
理事長だそうだ。

この母親は
絶縁状態の息子が事件に巻き込まれたことを千載一遇のチャンスとして
自分の主義主張を世界に向けて発信したわけだ。
しかも、原子力反対だの戦争反対だのと、脈絡無く喋っているが
実は一番肝心のことを分かっていない。

―先ほどより、"イスラムの方々"と口にされていますが、健二さんを捉えている団体は「イスラム国」という団体で、イスラムの国々の8割、9割で"これは本当の国家ではない、そしてイスラムの信者のやるようなことではないことをする団体だ"と非難されていることはご存知でしょうか。
イスラム国が傭兵や犯罪者だったり、社会に不満のある人々による組織であることはご存知でしょうか。また、例えば地域の色々な諜報機関の出先である、とまで非難されている。
「イスラムの人々に」とお話をされていますが、彼らが必ずしもイスラムを代表するものではないということをご存知でしょうか。(シリアの記者)


そこまでは存じ上げておりませんでした。失礼いたしました。
(記者会見全文書き起こし記事はこちら

これはもう、話にならないレベルだ。

昨日の記事に、「同胞である彼らが生還できればそれに越したことはない。」
と書いたが、
当人どころか親までがこれじゃあ、
生還しても日本国にとっていいことはないかもと
すっかり冷めた気持ちになってしまった。

それと、この状況下で
身代金を払え!安倍政権の責任問題だ!
と騒いでいる人々を、しっかり記憶しておきたい。

自称イスラム国による日本人人質事件

自称イスラム国は、昨年8月と10月に拘束した(らしい)日本人二人を人質にして
我が国に対して2億ドル(約240億円)の身代金を要求してきた。
自称イスラム国はテロ組織であり、

1.身代金はテロ組織の活動資金となり、組織を強化しテロを他地域まで広げることに繋がる。
2.身代金を払えば、日本人は「金になる」として、今後多数の日本人が狙われる危険が増す。

ことから、びた一文身代金を払うべきではないし
すでに日本政府の方針も、その点では固まっているそうだ(青山繁春氏)。

また人質の二人は、渡航制限区域であることを知りながら
自発的に自称イスラム国支配地域に入った点で、同情の余地はない。
もちろん、普通の親が「アホでも我が子」と我が子の無事を願うように
同胞である彼らが生還できればそれに越したことはない。

但し日本の国益が断固として最優先である。

一方、この事件を利用して政権批判に精を出す勢力がある。
メディアも安倍総理のカイロでの演説が挑発的だったとか
自称イスラム国とどう向き合うべきか、など。
テロ集団など一国が「向き合う」ようなものではないだろう。
事件発生から三夜連続でBSフジプライムニュースを見たが
反町キャスターのピント外れっぷりがひどかった。

同志社大学系列の中田氏が日本外国特派員協会で記者会見などしていたが
彼は日本人の若者を自称イスラム国に送り込もうとして
直前に公安当局に阻止された人間だ。
あの時も、日本人の若者が行けば人質にされる危険性が指摘されていた。
要するに中田氏は、日本人の顔をしているが「テロ組織自称イスラム国」側の人間ということだ。

同様にこの件に関わって家宅捜索されたジャーナリストも記者会見を開いたというが、
この局面で外国人特派員に向けて政府批判をするなど、売国奴としか思えない。

1977年にダッカ事件という人質事件があった。
当時の福田赳夫総理が、犯人側の要求を丸呑みし
身代金(当時で16億円)を支払い、服役中の仲間達を釈放した。
これが切っ掛けになって、以後テロ組織の人質事件が多発するようになったと
国際社会では普通に認識されているという。

今から思えば「なんという馬鹿な対応を」と思うが
当時の日本人・日本政府が世間知らずの甘ちゃんだったということだ。

今回の事件は不幸なことではあるが、1977年以降国際社会に植え付けられた
「テロに弱腰の日本」という汚名をすすぐ
絶好のチャンスととらえることも出来る。

安倍総理と日本国政府には、我が国と国際社会にとって最善の対応を期待しているし
間違いなくそうなると思っている。

ほんやくコンニャクを早う!

グローバル化に邁進する我が国では文部科学省が
小学校3年生から英語教育を導入しようとしているが

何だっ?この植民地根性は!?

と言いたい。
日本人は確かに英語が得意ではない。
当たり前だ。
過去も現在も、日常生活において英語をほぼ必要としないのだから。

明治時代に西欧文化を取り入れたとき
先人達はそれまで日本になかった多数の概念や専門用語を翻訳して和製漢語を創り
我々が日本語だけで十分な高等教育を受けられる環境を作ってくれた。
私達は大学の授業を日本語で受けるが、
これはアジアアフリカ諸国では考えられないことだそうだ。
欧米の植民地であった国々では高等教育は旧宗主国の言語で行われる。
フィリピンでは既に中学校から数学・理科は英語で行われていると聞いた。

ついでに言うと、かの「中華人民共和国」の国名で使われている
人民と共和国は和製漢語である。

つまり、日本人が英語、というより英会話が得意でないことは
恥ずかしいことでも何でもなく
輝ける歴史を持つ国である証として誇ってもいいくらいのことなのだ。


正論2月号で「英会話不要論 行方昭夫著」についての松浦光修氏の書評が面白かった。
その一部を抜粋する。

ーーーーーーーーーーー
 平成の御代がはじまったころ、私は「セミリンガル」の男子高校生に出会った。「セミリンガル」とは「一つの言語も満足に出来ない人」である。その高校生の場合、裕福な両親が自分達の息子を、当時流行のバイリンガルに育てようと、アメリカと日本を往復させ、そのあげく、”へんな日本語”と”へんな英語”しか喋れなくなったのである。悲劇的というほかない。
 しかし今、どうやら文部科学省は本気で、全国の子供達を「セミリンガル」にしようとしているらしい。
  (中略)
 著者は文科省の英語教育の路線を、「無謀」、「愚劣」としつつ、こう断言する。「日本の小学生が英語を早期に学び出せば、ペラペラに喋れるようになる・・・などというのが、どれ程ひどい妄想であるか」と。しかし今、「中教審、政府、自民党、実業界」は、その妄想にとりつかれている。
ーーーーーーーーーーー

母国語をしっかり身につけてから必要に応じて英語なり他の外国語を学べばいいのだ。

私が思うに、全国の小学生を実験台にするよりもはるかにいい方法がある。

それは「ほんやくコンニャクの実用化」である。
ほんやくコンニャクとは、どらえもんの道具の一つで
これを食べれば話す言葉が自動的に相手の言語に翻訳されて聞こえるし
相手の話す言葉は自分の言語で聞けるというもの。
真面目な日本語で言うと、「携帯型同時翻訳装置」である。

既に文字を入力しての翻訳ソフトはそこそこ使えるし
音声認識する機械も今では珍しくない。
第三の矢の目玉として、
「携帯型同時翻訳装置」の開発に人員と予算を集中させれば
我が国の技術レベルを以てすれば、数年で実用化が可能であると私には思える。

最初は相手の言葉が自分の母語になってタブレットに表示されるくらいのものでも
かなり便利、あると無いでは大違いだ。
取りあえずコミュニケーションはこれで取れる。
普及すれば精度は加速度的に上がり、価格も下がっていく。
日本語←→英語を手始めに、様々な言語に対応させていくなら
無限の成長産業にもなり得る。

そして何よりも、日本人を「セミリンガル」化の危機から救える。


かつて仕事の都合で夫と別居して子育てしていた頃
ドラえもんの道具で一番欲しいのは「どこでもドア」だった。
今は絶対に「ほんやくコンニャク」が欲しい。

ほんやくコンニャクを早う!!!

インターナショナルとグローバル

1月14日の記事で、国や民族による価値観の違いに触れた。

世界には様々な価値観があり、
お互いがどのような価値観を持っているのかを知ることが「相互理解」だ。
相互理解と相互尊重は物事を平穏に進める為の基本であり
非常に重要なことだと思う。

インターナショナルとは「国際的な」と訳される。
ナショナルつまり国というものが前提としてあり
国と国との相互関係というとらえ方になる。

これに対してグローバルは「地球は一つ」というとらえ方であり
共通の価値観に基づいて物事を進めていこうという立場である。
日本語訳は「地球の」「地球規模の」となるだろうか。
経済面での効率性に基づいて頻繁に言われるようになり
日本ではほとんど流行語化している。

しかし、人間の営みにおいて経済は一部分に過ぎない。
その上現実にグローバル化と言うときには、ほとんど
「アメリカの価値観に他の国が合わせろ」という意味になる。

これは価値観の相互理解・相互尊重とは全く違う話である。
「価値観の押しつけ」であり
「価値観の侵略」と言っても過言ではない。

欧米列強にはアジア・アフリカ諸国を文字通り侵略した過去がある。
そのことが「悪」だったとは今も考えていない。
あの時代はそうすることが強国の常識だったのだ。
だから今度は「価値観の侵略」を躊躇なく行える。

仮にアメリカの価値観が世界を平和にし、より多くの人々の幸福に繋がるというなら
グローバル化も悪くないだろう。
しかし実際はそうでないと断言できる。
グローバル化はアメリカの国益を最大にする為の方策である。
ということは、他のほとんどの国々の国民にとっては
得るものより失うものの方が大きい。

プーチンのロシアは、グローバル化とは一線を画す方向を明確にしている。
ロシアにはアメリカが足下にも及ばないような
奥行きと広がりのある歴史と伝統と文化がある。
グローバル化がアメリカによる「価値観の侵略」であり
それがロシアの国益に反することを
プーチンはしっかりと見抜いているのだろう。

我が日本国はアメリカの同盟国であり、
政府は無批判にグローバル化を進めようとしている。
しかし政府内にもグローバルをインターナショナルと思い込み
よいものと考えている人が少なくないように見える。

国や民族の価値観は、その土地の気候風土や歴史によって育まれる。
長い年月を掛けて熟成し、
その国の人々がもっとも心地よく暮らせるものになっていく。
価値観を常識と言い換えてもいいだろう。

日本には2000年の長きに亘って形作られた価値観がある。
穏やかで正直で思いやりと助け合いが社会の常識として根付いている。
この価値観は世界を平和にし、より多くの人々の幸福に繋がると私は思っている。

地球の常識からすれば、ほとんどの他国の人々は
「そんな社会は夢物語であり理想に過ぎない」
と思うに違いない。
しかし、少なくともこういう国がここに存在することを知れば
希望と行動に繋がるかもしれない。

だから日本と日本人は「インターナショナル」であるべきだ。
私達の価値観を守ることと、それを相手に理解させることに
全力を注がなくてはいけないと思う。


チャイナやコリアが歴史認識で日本バッシングを行い
そのプロパガンダが欧米諸国でも簡単に信じられてしまう背景には
「自分達ならそうするだろう。だから日本人もやっただろう。」
という彼らの価値観があるのだと
この頃考えるようになった。

以前、私は
「普段は温厚な日本人でも戦争となると人格が変わって残虐行為を行った。」
という説明を信じつつも
どこかで釈然としない思いを抱いていた。
平成22年に目覚めて、南京大虐殺プロパガンダの実態や通州事件を知ったとき
「ああ、やっぱりそうだったんだ。」
と腑に落ちた気がした。
全てのことがきれいに矛盾なく説明できて、スッキリ晴れやかな気分だった。

そしてようやく日本人であることを心からに誇りに思うようになった。

新型「国際放送」の創設へ

日本のマスメディアの多くが「日本人の誇り」を無くしてしまっている。
特にテレビはひどいし、
私達の受信料で運営されているNHKが、もしかすると一番ひどい。

例えば、1月13日放送の
「クローズアップ現代」ヘイトスピーチを問う~戦後70年いま何が~

一番驚いたのは
いわゆる「ヘイトスピーチ」を行っているとされる側=在日特権を許さない市民の会(在特会)
への取材がされていなかったことだ。
「元幹部」や「デモに参加している一般人」のコメントといった
信憑性の薄い話でお茶を濁していたが
デモを行う意図について、在特会の話を何故聞かないのか?
どこかの元朝日新聞記者とは違って取材を申し込めば喜んで受けるはずだ。

彼らが何を在日特権と見なしているのか、その具体例はどのようなものか?
そのこととデモがどう繋がるのか?

厚労省や法務省の見解より前に
まずはここが一番知りたいことなのに、スルーだった。

そしてナチスドイツを持ち出してくる。
興味を持ってネットで調べた者からすればめちゃくちゃな偏向番組だった。

もう騙されないから言っておくが、
日本人ほど寛容で穏やかな国民は地球上でも珍しい。
その日本人が怒りの声を上げたというのは、よっぽどのことなのだ。

とにかくNHKは日本と日本人が嫌いだ。

この現状を放置すれば国益を損なうと考えた自民党が、遂に動いた。
日本の立場を広く海外へ発信するための「国際放送」をNHKとは別に作るという。
事は急を要するのだから、悠長にNHK改革などやっている暇はない。
妨害もあるだろうが、負けずにどんどん進めて欲しい。


新型「国際放送」で正しく日本の立場発信 慰安婦など歴史問題…「攻めの情報発信」 NHKと別、自民が創設検討へ

 自民党は14日、国際情報検討委員会(原田義昭委員長)などの合同会議を党本部で開き、慰安婦問題や南京事件などで史実と異なる情報が海外で広まっている現状を踏まえ、日本の立場を正確に発信する新型「国際放送」の創設を検討する方針を確認した。中国や韓国などの情報戦略を分析、在外公館による情報発信の拡充についても議論し、今年の通常国会会期内に結論を出すことにしている。

 会議で原田氏は「どういう形で相手国に情報が伝わるかにも目配りしながら、正しいことをきちんと発信していくことが大事だ」と述べ、「攻めの情報発信」の意義を訴えた。

 英語による海外への国際放送は現在、「NHKワールドTV」がある。しかし、検討委は「従来の枠内では報道の自由など基本的な制約が多いため、今日の事態に十分対応できない」として、新型「国際放送」の創設を挙げた。

 昨年11月に北京で開かれた日中首脳会談直前の日中両政府の合意文書に関し、中国側が「意訳」した英訳文を日本側より早く公表し、外国メディアに引用されたケースもあった。検討委は、外交文書や論文を外国語で迅速に発信するよう政府に求める方針だ。

「表現の自由」の意味すること

イスラム過激派の影響を受けた若者によるパリでのテロ事件。

暴力による表現の自由への攻撃だとして、大規模な抗議デモが行われた。
メルケル氏やキャメロン氏を初めとした各国首脳も先頭を歩いていた。
パリ市民17人もの命が奪われた事件は深刻である。

しかし「表現の自由」だけを叫んで済む話ではないだろう。

事件を起こしたテロリスト達はイスラム教徒だったようだが
過激派でありカルトと見なした方がよいと思う。
今回は事件を起こしたカルト集団がイスラム系だったというだけで
状況によってはキリスト系や仏教系のカルトが同じようなテロを行うだろう。

過去の例を揚げると、オウム真理教による地下鉄サリン事件。
自分達の主張を通し利益を守る目的で無差別テロに走ったことは
今回のパリでのテロと同質である。

従って、今回の事件を以て
「イスラム教徒全般」を忌避したり疑ったり攻撃したりは
絶対にやってはいけないことだと
まず指摘したい。

その上で「表現の自由」について、である。

近年DVやパワハラを論じる中で
「言葉の暴力」が認識されるようになった。
殴る蹴るをしなくても言葉によって相手を深く傷つける。
他者の尊厳を傷つけ誇りを傷つけることは、
人として、してはならないことだ。

襲撃された新聞の「風刺画」はイスラム教を信仰する人達への
「ペンによる暴力」「言葉の暴力」であると私には思える。
フランスの風刺画では、東日本大震災の時に福島第一原発事故と絡めて
腕や脚が3本ある力士が描かれたこともある。
そのような風刺画を描く人間も読んで楽しむ読者も、醜悪だと思う。

表現の自由とは
弱い立場の人でも自分の意見や主張を述べられるということではないのか?

傲慢で下品な強者が弱者を傷つけあざ笑って「楽しむ」ことではないはずだ。
思い上がりも甚だしい。


今回の事件で
私達日本人の精神性・価値観が
西欧諸国のそれらとは大きく異なることを改めて認識させられた。

地球上には思いやりや助け合いとは対局の価値観、
つまり弱肉強食とジコチューが溢れている。
その地球上で日本と日本人がまともに生きていくためには
一人でも多くの日本人が、この価値観の違いを自覚しなくてはいけない。

理想ではなく現実をしっかり認識すること。
ドリーマー(夢見る人)ではなく、リアリスト(現実主義者)になるべし。
それも目の前にある現実だけでなく、その先の将来をも見通せるような
冷静かつ賢明なリアリストを目指そう。

グローバル化、グローバル化とお題目を唱えているのは
目指すべきリアリストとは違うと思うよ~~

豚に真珠?

サザンオールスターズの桑田佳祐氏が大晦日のステージで
紫綬褒章を粗略に扱い天皇陛下の物まねまでして勲章を揶揄したと
ネット上で抗議の声が上がっている。

このニュースを目にしたとき
「豚に真珠」ということわざが浮かんだ。

故事ことわざ辞典によれば、
豚に真珠とは、値打ちがわからない者には、どんなに価値のあるものを与えても意味がなく、むだであることのたとえ。
真珠の価値がわからない豚に真珠を与えたところで、豚にとっては何の役にも立たない。
『新約聖書』マタイ伝・7章6にある「Cast[Throw] not pearls before swine.(真珠を豚に投げ与えてはならない)」に基づく。

桑田氏は紫綬褒章など大した物じゃないとパフォーマンスしたつもりだろうが
陛下から賜る勲章は紛れもなく「真珠」であり
その価値が分からない桑田氏は自らが「豚である」と公表してしまったのだ。
桑田氏に腹を立てても仕方がない。
豚だったのだから。
真珠を豚に投げ与えた者が間違っていただけだ。

そんなことを考えた。

さて、今日になってそのライブ会場の音声を聞くことが出来た。

桑田氏、おおいに喜んで、はしゃいでいるではないか!
勲章をもらえたのも仲間やスタッフ、ファンの人達のおかげだと礼を言っている。
受賞の栄誉と喜びを皆で分かち合いたいのだいうことが伝わってきた。

「恐れ多くも有り難くも」
という「大人の表現方法」でないことに眉をひそめる人もいるだろうが
私は不快感は抱かなかった。
照れ隠しのおふざけ混じりとはいえ
桑田氏が紫綬褒章受章が嬉しくて有り難がっているのは間違いない。

私の結論。
本件に関しては「桑田氏は豚ではなかった」。


なお、私はサザンオールスターズはデビュー当時から知っているが
あの「何を言っているのか聞き取れない」歌い方が嫌いで
進んで聞こうと思ったことがない。
メロディだけで聞けばいい曲もあるのは認めるけどね。

フラクタル日除け 小さいものは熱くならない

このところ読書と言えば社会科学分野(政治とか歴史とか)ばかりだったが
久しぶりに自然科学系の本を読んだ。

DSCN5278s.jpg
酒井敏 著
都市を冷やすフラクタル日除け 面白くなくちゃ科学じゃない

この本を買ったのは昨年6月だったが
雑事に追われている間に行方不明になってしまった。
正月に向けての片付け中に発見され、ようやく読むことが出来た(汗)。

ヒートアイランド現象とはよく耳にする言葉だ。
ウィキによると、ヒートアイランド現象とは
「都市部の気温がその周辺の郊外部に比べて高温を示す現象。」
であり、その原因は
「地表の被覆の人工物化、人工排熱の増加、都市の高密度化の3つが大きなもの」
とされている。

この本では
「地表の被覆の人工物化」の本質が
「植物か人工物か」ではなく「表面積が小さいか大きいか」にあることを
著者が見出し、
その考えに基づいて「表面積の小さい人工の日除け」を作る経過が
読みやすい文章で描かれている。

「小さいものは熱くならない」のは伝熱工学という分野の教科書には書いてあることだそうだ。

102ページ コラム17より
空気中の熱い物体の周囲には、高温の薄い空気の層が出来ます。これを熱境界層といいます。
(中略)境界層の中では、物体表面の影響で空気が動きにくく、断熱材として働くのに対して、その外側では(空気が流れるので)非常に効率のよい熱伝導体になっているのです。そして、この境界層が厚いほど、熱は伝わりにくくなります

そしてごく簡単な数式で、
「面積の大きなものほど熱境界層の厚さは厚くなり、熱が逃げにくくなる」ことが示される。

真夏の日向に車とミニカーを並べて置いた場合
ミニカーは車ほど熱くはならない、ということだ。


本書は

それ、ほんと? [疑問編]
やってみたらええやん![実践編]
マジで!? [理論編]
行き当たりばったりの出たとこ勝負 [完成編]
その後のはなし

という構成で、
上に紹介した熱境界層の話はほんの一部である。
自然科学の楽しさが伝わってくる、とても面白い本だと思う。

この本には他にも紹介したい部分があるので
改めて別記事にするつもりだ。

県政報告会

12月に県会議員の平野氏事務所から、「新春」県政報告会のご案内を頂いた。
政治家のパーティーとはどのようなものか興味があり
社会見学のつもりで出席した。

駅前のホテルの宴会場には9人掛けのテーブルが18個用意されていた。
16:00開会で、後援会関係者、来賓(国会議員、市会議員)の挨拶と紹介が続き
平野氏が県政の動向や課題、取り組み方針などを説明して
第一部が終わったのが16:50。
この辺りの進行は労働組合の新年会(旗開きと言っていた)と似たようなものだった。

5分休憩後、第二部の懇親会(食事会)が始まった。
同じテーブルの方々と名刺交換して、自己紹介を含めて和やかに話が弾んだ。
聞けばどなたも30年40年と平野氏を応援しているという。
中には「親父さんの代から」という方も。
平成24年12月から二年ちょっとの私とは年期の入り方が違う。

「新しい人が加わってくれて嬉しい」的なことを言われたが
確かに大半が私よりも年配の方で、女性比率は一割以下だった。
19:00にお開きになって
分けていただいたお花を手に徒歩で帰宅した。

4月の統一地方選挙では長野県議選もある。
平野氏のような見識と経験を備えた方にはこれからも仕事をしてほしいので
選挙運動を手伝おうと思っている。