「表現の自由」の意味すること

イスラム過激派の影響を受けた若者によるパリでのテロ事件。

暴力による表現の自由への攻撃だとして、大規模な抗議デモが行われた。
メルケル氏やキャメロン氏を初めとした各国首脳も先頭を歩いていた。
パリ市民17人もの命が奪われた事件は深刻である。

しかし「表現の自由」だけを叫んで済む話ではないだろう。

事件を起こしたテロリスト達はイスラム教徒だったようだが
過激派でありカルトと見なした方がよいと思う。
今回は事件を起こしたカルト集団がイスラム系だったというだけで
状況によってはキリスト系や仏教系のカルトが同じようなテロを行うだろう。

過去の例を揚げると、オウム真理教による地下鉄サリン事件。
自分達の主張を通し利益を守る目的で無差別テロに走ったことは
今回のパリでのテロと同質である。

従って、今回の事件を以て
「イスラム教徒全般」を忌避したり疑ったり攻撃したりは
絶対にやってはいけないことだと
まず指摘したい。

その上で「表現の自由」について、である。

近年DVやパワハラを論じる中で
「言葉の暴力」が認識されるようになった。
殴る蹴るをしなくても言葉によって相手を深く傷つける。
他者の尊厳を傷つけ誇りを傷つけることは、
人として、してはならないことだ。

襲撃された新聞の「風刺画」はイスラム教を信仰する人達への
「ペンによる暴力」「言葉の暴力」であると私には思える。
フランスの風刺画では、東日本大震災の時に福島第一原発事故と絡めて
腕や脚が3本ある力士が描かれたこともある。
そのような風刺画を描く人間も読んで楽しむ読者も、醜悪だと思う。

表現の自由とは
弱い立場の人でも自分の意見や主張を述べられるということではないのか?

傲慢で下品な強者が弱者を傷つけあざ笑って「楽しむ」ことではないはずだ。
思い上がりも甚だしい。


今回の事件で
私達日本人の精神性・価値観が
西欧諸国のそれらとは大きく異なることを改めて認識させられた。

地球上には思いやりや助け合いとは対局の価値観、
つまり弱肉強食とジコチューが溢れている。
その地球上で日本と日本人がまともに生きていくためには
一人でも多くの日本人が、この価値観の違いを自覚しなくてはいけない。

理想ではなく現実をしっかり認識すること。
ドリーマー(夢見る人)ではなく、リアリスト(現実主義者)になるべし。
それも目の前にある現実だけでなく、その先の将来をも見通せるような
冷静かつ賢明なリアリストを目指そう。

グローバル化、グローバル化とお題目を唱えているのは
目指すべきリアリストとは違うと思うよ~~