子供達を守るために

1996年、長女が小学校4年生の時、学級崩壊を経験した。

ある日の夕方、仲良しのIちゃん(同級生)のお母さんから電話が掛かってきた。
長女が授業中に、顔にドッジボールをぶつけられたのだという。
「○○ちゃん(長女の名前)泣いちゃって、すごく可哀想だった。」
とIちゃんから聞き、心配して知らせてくれたのだった。

長女から様子をよく聞いて
ボールをぶつけた複数の男子の家庭に、その晩夫が電話で事実を伝えた。
「ご家庭で話をしてほしい」と言うと、
どの家庭も「申し訳ない、子供によく言い聞かせる」との反応で、
その晩のうちに親に連れられて謝りに来た子もいた。

子供は自分が家庭外でいやな目にあったとかいじめられたとかを
話さないことが少なくない。
長女はいつも学校や友達のことをよく話していた。
にもかかわらずこの日の出来事を、聞かれるまで親には話さなかった。
もしIちゃんのお母さんが電話をくれなかったら、気付かないままだったかもしれない。
(担任の先生は全く機能していなかった。)
最悪の場合は登校拒否に至ったかもしれない。

ボールをぶつけた男子達にしても、この件で親に叱られたことで
自分が悪いことをしたと自覚し、反省した。
もしスルーされれば弱い者いじめがエスカレートしたかもしれなかった。

この時実感したのは、
子育てにおいて親同士の横のつながりが非常に大切だということだ。
自分のことは話さなくても、友達がどうだったこうだったという話はする子もいる。
小さな問題が大きな問題に拡大する前に
親同士の情報網で対処できる可能性は小さくない。

川崎市中1男子虐殺事件で一番に思ったことは
「一人でもしっかりした大人がいれば、こうはならなかっただろう。」
ということだ。

どこにでもたちの悪い奴はいる。
そのような奴らからの被害を最小限に止めるために出来ることとして
まずは各家庭で家族間のコミュニケーションをより活発にしてほしい。

そして「我が子さえよければ」ではなく、
その友達やクラスの子、近所の子へも思いを掛けてほしい。

我が子のことだけを考えて、我が子は立派に育ったとき
社会全体が殺伐として不穏なものとなっていたら
我が子は幸せになれるだろうか?
一人でも多くの子供達が健全な肉体と精神を備えたきちんとした大人に成長することを
目指す必要があるのではないだろうか。
我が子だけではなく、周りの子供達をも気に掛けることが
結果的に我が子の幸せにつながるのだと思う。


Iちゃんがお母さんに話してくれて、お母さんが私に知らせてくれて
夫が男子達の親御さんに伝えて、親御さんが叱って本人が謝りに来た。

日本中のあちこちで、こんな連携は今でもたくさんあると思う。
ただ今回の川崎ではそうならずに悲劇が起きた。

加害者の少年達がどうであるかよりも大事なことは
家庭内や親同士や地域の繋がりを強めて
こういう連携が当たり前に出来るようにすることだ。

18年前の出来事を改めて思い返している。

なお、加害者の親が「たちが悪いケース」もあるだろうから
そういう場合は加害者の親に言うよりは学校や警察に知らせるほうがいい。
とにかく我が子とその周りの子供達をどうやって守り育てるか、だ。

決して難しいことでは無いと思う。