アウンサンスーチー氏の本質

ミャンマーの総選挙が行われ、野党NLDが大勝した。
昼ご飯を食べながら見ていたテレビのワイドショーで
ミャンマーの概要と今回の選挙の意味、今後の展望などを解説していた。
曰く
ミャンマーは70%がビルマ民族で、残りが多種多様な少数民族である。
90%の国民が仏教徒である。

それは事実であるけれど、
ミャンマーという国を理解するために一番重要な、歴史という部分が欠落している。

元々ミャンマーはビルマといい、ビルマ民族だけの単一民族・仏教国家であり王政を敷いていた。
19世紀になってイギリス植民地となっていたインドと国境を接し
イギリスと衝突するようになった。

ウィキによると
イギリスの挑発で引き起こされた1852年の第二次英緬戦争で敗れると、ビルマは国土の半分を失い、国王パガン・ミン(在位:1846年–1853年)が廃されて新国王にミンドン・ミン(在位:1853年–1878年)が据えられた。イスラム教徒のインド人・華僑を入れて多民族多宗教国家に変えるとともに、周辺の山岳民族(カレン族など)をキリスト教に改宗させて下ビルマの統治に利用し、民族による分割統治政策を行なった。インド人が金融を、華僑が商売を、山岳民族が軍と警察を握り、ビルマ人は最下層の農奴にされた。この統治時代の身分の上下関係が、ビルマ人から山岳民族(カレン族など)への憎悪として残り、後の民族対立の温床となった。下ビルマを割譲した結果、ビルマは穀倉地帯を喪失した為、清から米を輸入し、ビルマは綿花を雲南経由で清へ輸出することになった。
(中略)
1885年11月の第三次英緬戦争で王朝は滅亡。1886年6月、英清ビルマ条約でイギリスは清にビルマの宗主権を認めさせると、ビルマはイギリス領インドに併合されてその1州となる。国王ティーボー・ミン(在位:1878年–1885年)と王の家族はインドのゴア州ボンベイの南に近いラトナーギリーに配流され、その地で死亡した。
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つまり今のミャンマーを苦しめている民族問題や宗教問題は
帝国主義国家イギリスによって人為的・意図的に持ち込まれたものである。
民族対立や宗教対立を抑えて国を安定させるためには、強い力が必要である。
人権や民主主義を優先していたら国が崩壊し
再び大国(例えばチャイナとか米国とか)に翻弄されることになる。
ミャンマーで軍事政権が長く続いているのは、
国家を維持する上でそれ以外の選択肢がなかったという背景を知る必要がある。

さて、そこでアウンサンスーチー氏である。

彼女は「独立の父」と呼ばれるアウンサン将軍の娘である。
アウンサン将軍は大東亜戦争末期に敗色濃厚となった日本国を裏切ってイギリスに寝返った人物である。
(小国が生き残る為の選択だったのだろうから、それを咎めるつもりはない。)
1947年に将軍は独立を成し遂げることなく暗殺されるが、背後にイギリスの工作があったとも言われている。

アウンサンスーチー氏は17歳の時にインドのデリーに移り、19歳でイギリスに渡り
オックスフォード大学(イギリス)で教育を受け、その後もイギリスに住み続け
イギリス人男性と結婚して家庭を持った。
そうして43歳になるまで、ずっとイギリスや西側先進国に住み西欧の価値観の中で生きていた。

17歳から43歳までの間に形成された人格や価値観は簡単に変わるものでは無い。
アウンサンスーチー氏の心はビルマ人ではなくイギリス人と見るのが正しい。
イギリス人の価値観で見れば20世紀後半にもなって
「ばらばらになりかねない国をまとめていくには強権的な支配もせざるを得ない」
ということが理解できず許せない。

アウンサンスーチー氏は軍事政権によって長く自宅軟禁されていた。
本当に軍事政権が極悪なら、さっさと処刑するなり始末していただろう。
そうせずに自宅軟禁という穏便なやり方を取ったのは
「もうちょっと国情が安定するまで、かき回さないで。おとなしくしていて。」
ということのように思える。

日本では
軍=悪 軍事政権=弾圧・独裁=極悪
という短絡的な思考がまかり通っている。
それはWGIPとその後継者である教育者や研究者によって
「大東亜戦争で大日本帝国軍が極悪非道なことをした」
と刷り込まれているからだが
それはとても一面的で間違った見方である。
国情が安定しない国において、西欧的米国的な民主主義が如何に使えないか
アラブの春で明らかになったはずだ。

それにしても
ビルマ独立の父の忘れ形見を、先進国で教育を受けさせ結婚までさせるという方法で
「イギリス人の心を持ったビルマ人」に作り上げたアングロサクソンとは実に恐ろしい民族だ。

日本のメディアや多くの識者が民主化運動の指導者と崇めるアウンサンスーチー氏が
法律的な裏付けもなく「自分が最高権力者として君臨する」と宣言したそうだ。

2015.11.11 産経新聞
【ミャンマー政権交代へ】
スー・チー氏「私がすべてを決める」 権力集中の姿勢強める


それは法治国家のリーダーとしてあり得ない姿で
西欧諸国に祭り上げられ勘違いした彼女の末路は悲惨なことになるのではないだろうか。
いや、彼女は十分に脚光を浴びて良い思いもしただろうから、それでも構わない。

その姿に幻惑されて期待を寄せたミャンマーの人々が、
間違った選択の結果、悲惨な目に会わないことを祈るばかりである。