ゴミとカスが一緒になっても

民主党と維新の党が合流して新党を結成するらしい。

民主党の中にも比較的物事が分かっている政治家もいるが
海江田体制から岡田体制に至る数年間、その人達の存在が見えていない。
彼ら「民主党の良心派」はこの際、袂を分かった方が良いと思う。

現在の維新の党は、民主党から出て、
橋下・松井氏が創った維新の党を乗っ取り、
その際政党助成金の国庫返納を拒否し続けた
私に言わせれば「カス」である。

民主党は、政権担当時の無能ぶりや、
現国会での週刊誌のみを情報源とした低次元な質疑など
我が国の利益にならない、ほとんど「ゴミ」みたいなものである。

ゴミとカスが一緒になっても役に立つわけもない。
いずれまとめてゴミ箱行きになる運命だと思う。

別のたとえ話をすると
腐ったミカンと腐ったリンゴを新しいフルーツ箱に入れ替えても
美味しい食べられるようなフルーツになるはずがない。

ミカン箱の中でもまだ腐っていないミカン達は
腐ったミカン達が新しいフルーツ箱に移るチャンスをとらえて
別の新しいカゴなり箱を作った方が良いと思う。

まあ、それができないからここまでグダグダやっているのだろうが
我が国の政治、ひいては国益のために
「民主党の良心派」の行動に、ほんのちょっぴり、極々少しだけ、期待している。

男性の育児参加について

2月14日の記事では大きく二つの事を述べた。

一つは
制度上、出産後に保育に欠ける状態が生じるという切実な問題があって
それを解消することこそが
育児休業制度の最大の目的であったこと。

もう一つは
理想的な(最高の)子育てとは
「三歳までは母だけの手で」では決してないこと。

母だけではないなら、まず誰が登場するか。
言うまでもなく父である。
子供に一番近い存在であり一番責任ある立場だからだ。

長男が生まれたとき、夫とは別居中だった。
別に夫婦仲がやばかったからではない。
そうではなくて、
長野県に住んでいたときに見つかった私の仕事が宮城県で
2歳の長女と子連れ赴任し、夫を置き去りにすることになったのだ。
(この時、迷う私の背中を強く押して、送り出してくれたのが、夫である。)

500km離れて、片道8時間もかかる道のりを
3週間か1ヶ月ごとに、夫が通ってきた。
来ている間は炊事以外の家事を受け持ち、子供達の保育所への送迎もしてくれた。

夫は当然のこととして、全力で育児に協力してくれた。

次男が生まれたときには同居が実現していたから
長男の時とは比べものにならないほど多くの時間と労力を
夫は育児に投入してくれた。

満一歳の検診にも夫が連れて行った。
すると市の職員の方が
「これこそ男女共同参画だ!」と感激して写真を撮り
それが市の広報の表紙を飾ったこともある。

イクメンなどという言葉が出現するずっと前から
子育ては両親の共同作業であると考えて実行していた男性はいたのである。


子育ては長期戦である。
誕生直後からの育児休暇はそのほんの入り口に過ぎない。
保育所に預けるようになり、小学校に上がってからも
病気になったり行事があったりで
次々に仕事を休む必要が出てくる。
私も有休が足りなくならないか、ヒヤヒヤだった時期もあった。

そうしたとき男性も休みを取りやすい環境を作る取り組みは
女性が働き続けるために
これからも強めていく必要があるだろう。
男性の育休取得率が低いことにばかり拘るのも、どうかなぁと思う。

そもそも非正規雇用などで有休も満足に取れない職場もある。
国会議員の仕事とは、
そうした職場の労働環境を少しでも良くするための
法整備や制度を作ることのはず。

子供が生まれま~す!
だから僕も育休を取りま~す!

口先だけでイクメンを気取った国会議員の浅薄さは
腹立たしく気持ち悪い。

育児休業制度が実現した頃のお話

私が長男を出産したのは1989年11月。
国家公務員(研究職)で、宮城県のとある町に住んでいた。

当時、出産に関わる休暇は
産前6週間、産後8週間(多胎妊娠の場合は産後10週間)のみ。
一方、市立保育所は生後3ヶ月からの受け入れだった。
つまり、産休明けから生後3ヶ月までの保育をどうするかが深刻な問題だった。
その頃は生後8週間の乳児を預かるような私設の保育施設は無かった。

3歳の長女が既に市立保育所にお世話になっていたので
早くから先生方にお話ししてお願いして
11月生まれなら2月1日から、慣らし保育を経て受け入れて貰えることになった。

幸い長男は11月下旬に生まれてくれたため
産休明けから有給休暇を10日ほど取得させてもらって
何とか2月1日を迎えることができた。

この時点でゼロ歳児保育を実施している市立保育所は1カ所のみで
長女が通っている近所の保育所とは別の所だった。
朝、車の後部座席に固定した衣装ケースのベッドに長男を寝かせ
助手席に乗せた長女を一つ目の保育所に送ってから
長男を二つ目の保育所に連れて行き、出勤。
夕方は長女をピックアップしてから長男を迎えに行き、帰宅。

新年度4月から長女の通う近所の保育所に
新しくゼロ歳児クラスができることになってホッとしたのを思い出す。

元々、産前産後休暇は、母体の保護が目的である。
その後の保育の確保という観点は、全く無かったのである。

職場復帰してからは、組合の要求活動や署名活動に取り組み
満一歳までの育児休業制度の導入を働きかけ
最低限生後3ヶ月までは休めるようにしないと
保育に欠ける状態ができてしまう現実を強く訴えた。

働く女性の先輩達から続いてきた要求が実って
育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律(平成3年法律第76号)(通称:育児介護休業法)が
遂に1991年に制定、1992年に施行された。

その後長野県下に転勤して、1995年に次男が生まれた。
満一歳までは育児休暇が取れるようになっていたが
私は保育所に預けられる生後3ヶ月までのひと月強だけ休んで
速やかに職場復帰した。

長男出産時に、職場復帰してすぐ
重要な会議でのディスカッション中に
専門用語が出てこなくて冷や汗をかいたりなど
しばらくは勘が戻らないことを経験していたからだ。

それでも有休の残日数を気にせずにすむのはありがたかった。

都会では年度途中でゼロ歳児保育に入所するのは非常に難しい。
満1歳までの育児休暇は、女性が出産後も働き続けるために
必要不可欠な制度だと確信している。

その後育児休暇が満3歳までに拡張された。
仕事の種類にもよるし、個人差もあるだろうが
長く休めば職場復帰も大変だろうなぁと思う。


当時も今も「三歳までは母の手で」と言われる。
幼子は母が育てるべきだという意味だ。

しかしそれは決して「三歳までは母だけの手で」
ということではないはずだ。

子供達3人を育てる際に、実に多くの方達の手を借りてきた。
手を借り知恵を借り、本当に多くのことを教えられながらの育児だった。
しかし常に「育児の司令塔は母」と考え判断し行動してきたつもり。

子育てにおいて、どれほど物理的に手を掛けるかよりも
どれだけ多くの心を掛けるかこそが大切なのではないだろうか。
働きながら3人を育ててきた私の実感は、そのようなものである。

狼の牙を折れ

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門田隆将著 狼の牙を折れ

シリアとイラクで自称イスラム国が勢力を伸ばし
日本人が拘束されて殺害されたのは一年前だった。
あの時、日本国内の一部から
「これで日本がテロリストの標的にされた」
「これからは日本でもテロが起きる。どうしてくれる!」
と政府の対応を非難する声が起きた。

これからはテロが起きる?
何を寝言、言っているんだ?
オウム真理教による地下鉄サリン事件は
世界中を震撼させた「初の化学兵器によるテロ」だったことを忘れているのか?

この時、三菱重工爆破事件に触れた記事を読んで
私がその事件についてタイトル以外は何も知らないことに気付いた。


昭和49年8月30日といえば、
大学3回生で京都に住んでいた時だ。
テレビもなくラジオは音楽しか聴かず
ニュースは朝日新聞を購読していただけ。
しかも当時は、左寄りの思想で、テロリストの論理を全否定していなかった。
そんなこんなで事件の深刻さが分からず印象が薄かったのだろう。

門田隆将氏の著書を探して、たまたまこの本に行き当たった。
三菱重工爆破事件の犯人を割り出し検挙するまでの
警視庁公安部の捜査官を追ったノンフィクションである。

犯人グループは極左集団として知られた組織ではなく
「誰が何のために」から探り
血のにじむような捜査を積み重ねて
9ヶ月後の昭和50年5月19日に犯人グループ7人を一斉検挙した。

高い能力と精神力と身体能力を持つ捜査官の方々がいればこそ
事件の解決ができたのだと、感動した。

それと当時に、この事件の底には
WGIPによって間違った価値観と歴史観を刷り込まれ
祖国を悪と思い込まされた若者達の悲劇がある。
元々は真面目な若者が「日本人は悪の手先」だと無差別テロを実行した。

その後、検挙された一人が
日本赤軍のクアラルンプール人質事件に関わる「超法規的措置」で釈放され
2年後のダッカ事件で、さらに二人が釈放されてしまった。
そのため事件は40年を経た今でも終わらず、
死刑判決が確定した犯人の刑は執行されていない。


本書を読んで改めて思ったこと。
昭和40年代の学生運動は、突き詰めればWGIPのなせる技だった。
日本は悪い国で、アジアの国々を蹂躙し殺しまくり悪逆非道の限りを尽くしてきた。
その後も反省せずに今度は経済力でアジアの国々を蹂躙し搾取している。

それが嘘でたらめであることを知っている大人は多かったはずだが
若者達の誤解を解こうという真剣な活動はされていたのだろうか?
少なくとも広がってはいなかった。
それもまたWGIPのなせる技だったのだろう。

犯人グループの世代は現在60代後半以上。
今なおWGIPの毒から解放されていない日本国民も少なくない。
一人でも多くの人が一日でも早く目覚めるように
私なりにできることを続けていきたい。

空母いぶき


月刊正論でも紹介されていた「空母いぶき」

設定や細部に至る描写がリアルと評判のコミックだ。

チャイナが沖縄の離島に軍事侵攻し
駐留自衛官と住民を人質にして
「尖閣諸島はチャイナの領土であることを認めろ。」
と日本政府に迫る。

その前段階として2年前に
遭難を装ったチャイナ工作員が尖閣諸島南小島に上陸し
日本の救助を拒否してチャイナ当局に救助されるという事件があった。
この時の日本政府の抑制的=弱腰な対応が、今回のチャイナの軍事行動に繋がった。

日本政府は逡巡の末に、遂に防衛出動を発令する。

米中全面戦争に突入しないために米国は静観。
地域紛争として日本が自力で対処・解決しなければならない。

読んでいて強い緊張感を強いられ、ドキドキしてくる。
これは十分あり得る話だと思う。
しかしこうなってはいけないのだ。
だからチャイナに軍事行動を起こさせないよう、抑止力を高めなくてはならない。

なお、小野寺元防衛大臣は
「実際には日本政府はもっと迅速に対応する。」
とコメントしている。

是非そうであって欲しい。

外務省はやっぱり害務省

昨年12月28日の慰安婦問題に関する日韓合意は
歴史の事実を曖昧にした、納得のいかないものであった。

慰安婦問題が事実をねじ曲げ日本バッシングに使われ
世界がそれを信じ込んでいる現状。
その大きな原因が日本国外務省の不適切な対応にあることを
櫻井よしこさんが改めて指摘している。


2月1日 産経新聞
祖国の名誉のために闘わぬ外務省に「性奴隷の国」からの名誉回復は任せられぬ
 2月15日からジュネーブで開かれる国連女子差別撤廃委員会で政府がようやく、「慰安婦は強制連行ではない」と反論する。これは昨年7月、同委員会から「慰安婦の強制連行はないとの主張がある、見解を述べよ」と問われた件への回答である。
 わが国への執拗で根深い歴史非難は、外務省が国際社会に向けて一度もまともに反論しなかったことが最大の原因である。国益を深く傷つけた従来の沈黙に比べれば、今回は最小限の反論ながら、反論した点で一応評価してよい。
 しかしここに至るまでの深刻な対立を見れば、日本の真の名誉回復は外務省ではおぼつかないと考えざるを得ない。差別撤廃委員会への回答は、実は、昨年11月までに完成していた。クマラスワミ報告書をはじめ国際的対日非難の勧告に、「一方的で裏打ちのない内容が記載され」たと反論し、客観的事実に基づく日本理解を求めるしっかりした内容だった。
 慰安婦強制連行に関する日本側の証言者、吉田清治氏の記事を『朝日新聞』が取り消したこと、1990年代初頭以降の日本政府の調査は軍や官憲による強制連行を示す記述には行き当たらなかったこと、20万人の数字は慰安婦と女子挺身隊の混同で具体的裏づけはないことなども、明記していた。

 ところが、昨年12月28日、日韓外相が慰安婦問題は「最終的かつ不可逆的に解決される」と合意すると、外務省が右の回答に難色を示した。「一方的で裏付けのない内容」などの「強い」表現の反論では国内の強硬論と向き合わざるを得ない尹炳世外相がもたないとして、「最終的かつ不可逆的」という合意と、国際社会では非難し合わないとの合意だけを書いた一枚紙を代替案として出してきた。
 猛然と異論を唱えたのが首相補佐官の衛藤晟一氏らである。国連の問いにまともに答えない正当な理由は何か。事実の客観的陳述は、非難し合わないとの合意には反しない、という氏らの主張は全てもっともだ。そこで出された折衷案が冒頭の回答だった。
 強制連行は否定しているが、文書では20万人、性奴隷などの非難には全く触れていない。それらは、ジュネーブの会議で杉山晋輔外務審議官が口頭で述べるそうだ。
 状況の厳しさを外務省はどこまで理解しているのだろうか。口頭説明だけで日本への根強い歴史非難を打ち消せるのか。そもそも、今回反論の機会に恵まれたのも、外務省の働きによるものではない。
 前衆議院議員の杉田水脈氏らが昨年7月、同委員会準備会合で強制連行説には根拠がないと訴えたのがきっかけである。委員らは「初耳だ」と驚き、日本政府に問い合わせた。国際社会に向けて外務省がいかに何も発信していないかを示している。
 昨年暮れの日韓合意は確かに両国関係を改善し、日米韓の協力を容易にした。しかし、それは短期的外交勝利にすぎない。「保守派の安倍晋三首相さえも強制連行や性奴隷を認めた」と逆に解釈され、歴史問題に関する国際社会の日本批判の厳しさは変わっていない。長期的に見れば安倍首相発言で日本は以前よりさらに重い課題を背負い込んだのである。だからこそ、いま、楽観を排して、以前よりずっと賢い永続的な情報発信をする重い責務を負っているのである。
 首相が国会で日本のこころを大切にする党の中山恭子氏の質問に答えて、「性奴隷あるいは20万人といった事実はない」「政府としてはそれは事実ではないとしっかり示していきたい」と明言したのは、その点を踏まえているのであろうと、私は推察した。
「軍の関与の下」との発言は「慰安所の設置、管理および慰安婦の移送」に間接直接に関与したという意味で、強制連行ではないとの発言についても同様である。
 国会という最も公の場における首相の重要発言に外務省はなぜもっと真剣に向き合わないのか。国益を守る信念を首相の言葉から読みとり、国益を守る闘いにどこまでもコミットする気概を、なぜ外務省はもっと明確にしないのか。まさか、首相ひとりを前面に立たせて孤独な戦いを続けさせるつもりではあるまい。
 萩生田光一官房副長官は日韓が互いを非難しないことと客観的事実の説明は全く別次元と明言したが、外務省がその意味を理解しない間に、韓国でも世界でも、日本をおとしめる計画がさらに進むのである。
 合意の日、岸田文雄外相は韓国側が国連教育科学文化機関(ユネスコ)に慰安婦問題を世界記憶遺産として申請することはないとの認識を語ったが、韓国側は翌日、真っ向から否定した。現在、中国は、韓国、インドネシア、台湾などに呼びかけ2年後の共同申請に向けて準備中である。慰安婦像も撤去どころか韓国内外で増えつつある。
 いま全力で闘わなければ日本に対して植えつけられた「本性はけだもののように残虐」(中山恭子氏)との曲解を解くことなど到底、難しい。だが交渉しても闘わないのが外務省の習性である。マイク・ホンダ氏、朝日新聞、クマラスワミ報告、いずれにも、外務省は実質的反論をしなかった。日本の名誉をかけた闘いから逃げ続けてきた。
 外務省は自らの使命は外交交渉にあり、歴史情報の発信や祖国の名誉擁護は任ではないと考えているのか。であれば、歴史情報の発信は他の組織に任せるしかないではないか。歴史の事実を武器に、知的に果敢に闘う新体制づくりが首相の責任である。
ーーーーー

国家機関である外務省が「役立たずの害務省」であることがとても腹立たしく情けない。
外務省に任せておいてはダメなのだ。

「杉田水脈氏らが昨年7月、同委員会準備会合で強制連行説には根拠がないと訴えた」記事を以下に転載しておく。

2015.8.8 産経新聞
【歴史戦】
「慰安婦は性奴隷ではない」…真実訴えて欧州行脚、民間団体が「風」起こす
 慰安婦問題などの真実を世界に伝えようと、日本の複数の民間団体が合同で今年7月、欧州行脚に挑んだ。ジュネーブの国連代表部では「慰安婦は性奴隷ではない」と訴え、パリでは、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に登録が検討されている南京事件と慰安婦の関連資料への反論書簡を提出した。参加者は1週間、足がかりのない欧州で活動の難しさを感じながらも、今後への感触をつかんだようだ。(パリ 内藤泰朗、写真も)

 「準備は大変だったが、外国人を含め、民間のいろいろな方々の協力があって実現できた」。企画のまとめ役となった日本女性の民間団体「なでしこアクション」の山本優美子代表は、こう語った。
 実は、山本代表らの欧州行脚は初めてではない。昨夏、国連の自由権規約委員会による対日審査に関連して、国連代表部を初めて訪ねた。だが、国連のしきたりを知らず、慰安婦問題については委員の机の上に資料を置くのがやっとで、関連イベントでは何も訴えることはできなかった。日本の別の民間団体が企画したイベント会場に入れないという屈辱も経験。「今回はそのリベンジ」(参加者)だったのだ。
 参加したのは、5団体計20人。慰安婦を日本の「犯罪」による被害者だと指摘してきた国連女子差別撤廃委員会の第63回準備会合の場で、「慰安婦は性奴隷ではない」との主張を初めて展開した。
 国連代表部内では、日本の歴史文化を紹介する「ジャパノロジー」セミナーが行われた。ただ、「慰安婦は売春婦だった」と記したパネルの展示場所を会場入口の廊下から会議室内に移動するよう求められるハプニングがあった。折り紙や書籍、資料などほかの陳列品には文句が出なかったことから、国連側が慰安婦のパネルだけを人目から遠ざけたかったのではないかとみられる。
 しかし、「国連で3日間にわたり、慰安婦の真実について展示できたことは意義があった」と山本氏は話す。
 一般の人を対象にジュネーブ市内で開いた慰安婦問題のセミナーには、一般の参加者が10人弱と集客に苦戦し、将来に課題を残した。それでも、英語で反論の情報発信をすることの重要性を学んだ。
 ユネスコでは、中国政府が昨年6月に世界記憶遺産に南京事件と慰安婦の資料を登録申請したことを受けて、英文による反論書簡を提出し、登録しないよう申し入れた。反論書簡は、同問題を専門に研究する著名学者たちの監修を得ながらも、一般市民たちが尽力し自ら作成した。
 書簡は、反論のポイントを含め全19ページ。南京事件については、「日中戦争当時、日本軍と戦う中国国民党が日本軍の残虐性と非道さを描くためのプロパガンダ(政治宣伝)として捏造した“事実”で創作したものだ」と断定した。慰安婦については、だまされたり、親に売られたりする犯罪はあったが、「戦時下における売春婦だった」と結論づけている。
 10月4~6日、アラブ首長国連邦(UAE)の首都アブダビで開かれるユネスコの第12回国際諮問委員会で、南京事件と慰安婦の資料が世界記憶遺産に登録されるかどうかの勧告が出される。登録が勧告されれば、ユネスコのボコバ事務局長が承認し、7日には正式に決定、発表となる見込みという。
 「やる気になれば、民間の力でもここまでやれる。今後、発展させることができると確信した」「国連内にも歴史問題で心を痛めている人がおり、協力を申し出てくれた」ことが今回の収穫だったという。
 ただ、今回の企画は、一部篤志家の寄付はあったものの、基本的には参加者が費用を負担して行われた。「民間団体ができることには限りがある。政府としてももっと発信してほしい」との声も聞かれた。
 バルセロナ日本人学校の校長などを務めた「慰安婦の真実国民運動」幹事長、岡野俊明元銚子市長は「歴史問題が国際問題に発展している現状を見れば、歴史教育がいかに重要か、分かる。日本の教育者はこの現実を肝に銘じるべきだ。今回の経験を全国に伝えてゆきたい」と話していた。
 また、米テキサス州から参加し、「テキサス親父」のニックネームで知られる評論家のトニー・マラーノさんは「残念ながら、こうやって世界に訴えていくほかに、正義を世界に示す方法はない。決してあきらめてはいけない。正しいことを明らかにするため、楽しみながら活動していれば、必ず風向きが変わるときがやってくる」と語った。
 欧州では、慰安婦問題や南京事件に関しては、日本側で進む研究の成果や米国などで起きている慰安婦像の設置が政治問題となっていることなどはほとんど知られていない。世界のレベルでは、まだまだ逆風が吹き荒れている。
 「国連やユネスコはけしからんと言ってみても何も変わらない」「時間がかかっても、毎年、地道に真実を訴え続けて仲間を増やしていくことで、世界は変わっていく。今回はその一歩を踏み出したに過ぎない」「いろいろな人がさまざまな形で運動を起こして世界に訴えていくことが何より大切だ」-。参加者たちに共通した感想だ。