インターナショナルとグローバル

1月14日の記事で、国や民族による価値観の違いに触れた。

世界には様々な価値観があり、
お互いがどのような価値観を持っているのかを知ることが「相互理解」だ。
相互理解と相互尊重は物事を平穏に進める為の基本であり
非常に重要なことだと思う。

インターナショナルとは「国際的な」と訳される。
ナショナルつまり国というものが前提としてあり
国と国との相互関係というとらえ方になる。

これに対してグローバルは「地球は一つ」というとらえ方であり
共通の価値観に基づいて物事を進めていこうという立場である。
日本語訳は「地球の」「地球規模の」となるだろうか。
経済面での効率性に基づいて頻繁に言われるようになり
日本ではほとんど流行語化している。

しかし、人間の営みにおいて経済は一部分に過ぎない。
その上現実にグローバル化と言うときには、ほとんど
「アメリカの価値観に他の国が合わせろ」という意味になる。

これは価値観の相互理解・相互尊重とは全く違う話である。
「価値観の押しつけ」であり
「価値観の侵略」と言っても過言ではない。

欧米列強にはアジア・アフリカ諸国を文字通り侵略した過去がある。
そのことが「悪」だったとは今も考えていない。
あの時代はそうすることが強国の常識だったのだ。
だから今度は「価値観の侵略」を躊躇なく行える。

仮にアメリカの価値観が世界を平和にし、より多くの人々の幸福に繋がるというなら
グローバル化も悪くないだろう。
しかし実際はそうでないと断言できる。
グローバル化はアメリカの国益を最大にする為の方策である。
ということは、他のほとんどの国々の国民にとっては
得るものより失うものの方が大きい。

プーチンのロシアは、グローバル化とは一線を画す方向を明確にしている。
ロシアにはアメリカが足下にも及ばないような
奥行きと広がりのある歴史と伝統と文化がある。
グローバル化がアメリカによる「価値観の侵略」であり
それがロシアの国益に反することを
プーチンはしっかりと見抜いているのだろう。

我が日本国はアメリカの同盟国であり、
政府は無批判にグローバル化を進めようとしている。
しかし政府内にもグローバルをインターナショナルと思い込み
よいものと考えている人が少なくないように見える。

国や民族の価値観は、その土地の気候風土や歴史によって育まれる。
長い年月を掛けて熟成し、
その国の人々がもっとも心地よく暮らせるものになっていく。
価値観を常識と言い換えてもいいだろう。

日本には2000年の長きに亘って形作られた価値観がある。
穏やかで正直で思いやりと助け合いが社会の常識として根付いている。
この価値観は世界を平和にし、より多くの人々の幸福に繋がると私は思っている。

地球の常識からすれば、ほとんどの他国の人々は
「そんな社会は夢物語であり理想に過ぎない」
と思うに違いない。
しかし、少なくともこういう国がここに存在することを知れば
希望と行動に繋がるかもしれない。

だから日本と日本人は「インターナショナル」であるべきだ。
私達の価値観を守ることと、それを相手に理解させることに
全力を注がなくてはいけないと思う。


チャイナやコリアが歴史認識で日本バッシングを行い
そのプロパガンダが欧米諸国でも簡単に信じられてしまう背景には
「自分達ならそうするだろう。だから日本人もやっただろう。」
という彼らの価値観があるのだと
この頃考えるようになった。

以前、私は
「普段は温厚な日本人でも戦争となると人格が変わって残虐行為を行った。」
という説明を信じつつも
どこかで釈然としない思いを抱いていた。
平成22年に目覚めて、南京大虐殺プロパガンダの実態や通州事件を知ったとき
「ああ、やっぱりそうだったんだ。」
と腑に落ちた気がした。
全てのことがきれいに矛盾なく説明できて、スッキリ晴れやかな気分だった。

そしてようやく日本人であることを心からに誇りに思うようになった。

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