ムハンマドと聖徳太子は同世代

イスラム教の開祖は、学校ではモハメットと習ったが今はムハンマドと呼ぶようだ。
そのムハンマドが聖徳太子と同じ時代を生きたということを最近知った。

ウィキによれば
ムハンマド 570年頃 - 632年6月8日
聖徳太子  574年2月7日 - 622年4月8日
であり、ほとんど同い年である。

聖徳太子は、遣隋使を派遣するなど大陸の進んだ文化や制度をとりいれて
604年に冠位十二階十七条憲法を制定し
天皇を中心とした中央集権国家を作ることに力を注いだ。

冠位十二階は日本最初の冠位で、天皇が臣下に与える身分である。
冠位は氏ではなく個人に与えられ、世襲もされない点が
それまでの「氏姓制度」と異なる。
制定の目的は、家柄にこだわらず有能な人間を確保する人材登用のためと、
外交使節の威儀を整えるためと言われている。

十七条憲法は17条からなる法文で
官僚や貴族に対する道徳的な規範が示されている。
一番初めに
「以和爲貴(和を以て貴しとなす)」
とあり、日本の国柄、精神がここに明記されている。

一方ムハンマドはアラビア半島のメッカで生まれた商人で
610年に初めて唯一神の啓示を受けた。
その後も啓示は次々とムハンマドに下され
預言者としての自覚に目覚めたムハンマドは
近親の者たちに彼に下った啓示の教え
すなわちイスラム教を説き始めた。

布教によりイスラム教が広まるにつれ、従来の宗教(多神教)と敵対するようになった。
ムハンマドは自身を長とするイスラム共同体(ウンマ)を結成し
幾たびもの戦争を経て勝利し
630年頃にアラビア半島をイスラムにより統一した。
神の啓示を書物にまとめたコーランは
ムハンマドの死後、650年頃に作られたとされる。

上記のようなことが、1400年前に
日本とアラビア半島という8000kmも離れた場所で
同時に起こっていたのである。

中東は遠いし、イスラムのことはよく分からない。
それでも聖徳太子とムハンマドは「同い年」と知ったことで
少し身近なことと思えるようになった。

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