今なお学校で嘘を教えている現実

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南京事件は通常の戦闘行為で、しかも
中国国民党軍が先に南京から逃げ出したため大規模な戦闘行為は行われなかった。
直後に南京に入った当時の報道陣も、日本の民間人も
平和で穏やかな状況を経験し、多くの報告や日記に書き残している。

しかし「人は嘘を言わない」という日本人の常識と
WGIPによって刷り込まれた「日本人は極悪非道なことをした」という自虐史観が
朝日新聞・本多勝一氏を通した反日プロパガンダを許してしまった。
そして今現在も、そのプロパガンダが教育現場で続いていることに
強い危機感を覚える。

以下に全文を転載し、強調したい部分は赤字で示した。

2016.5.2 産経新聞
【歴史戦 南京が顕彰した男(中)】
なぜ中国は「南京大虐殺」を記憶遺産に登録しながら証拠開示を拒むのか? 「中国の旅」の影響なお
「朝日記者著書は必読の教材」
 国連教育科学文化機関(ユネスコ)は昨年10月、中国提出の「南京大虐殺文書」を記憶遺産に登録した。「大虐殺」を示す文書や写真などで構成されているとされるが詳細は明らかになっていない。中国が公開を拒んでいるためだ。
 外務省の国際文化交流審議官、下川眞樹太は4月28日、自民党の部会で中国側が「技術的な問題」を理由に、登録資料の大半の閲覧を拒んでいると説明した。登録資料は中国国内の公文書館などに保存されている。外務省が一部施設で資料を確認した後、2月に検証を進めようとしたところ、態度を急変させたという。このため、日本政府はいまだ登録資料の真贋(しんがん)性を検証できていない。
 出席議員からは「都合が悪いから見せないのではないか」との意見も出た。“証拠”であるはずの資料を中国がひた隠しにする「南京大虐殺」だが、今の日本の教科書には「事実」として掲載されている
 「日本軍は12月、南京を占領しました。このとき、国際法に反して大量の捕虜を殺害し、老人・女性・子どもをふくむ多数の市民を暴行・殺害しました(南京事件)」
 今年度から筑波大付属駒場中や灘中など最難関校を含め、30以上の国立、私立中で使用される「学び舎」(東京)の中学校用歴史教科書の記述だ。
 東京書籍の中学歴史教科書も「女性や子どもなど一般の人々や捕虜をふくむ多数の中国人を殺害しました(南京事件)」と記載し、「『南京大虐殺』とも呼ばれます」と注釈を付けた。
 「南京事件」は戦後、一貫して歴史教科書に記載され続けてきたわけではない。東京書籍の中学歴史教科書の場合、昭和53年度用(52年検定済み)から「南京虐殺」の文字が登場した。
 犠牲者数はこの時点では「おびただしい数」とあったが、その後、「20万以上ともいわれる」「中国では(中略)30万以上とみている」(59年度用)と記されるようになる。
 「南京事件が初めて教科書に登場したのは、昭和49年度の中学校の検定の際であった
 「以後、他社の教科書にも同様の記述が見えるようになり、次いで高等学校の日本史教科書にも及ぶようになっていった」
 文部省(現文部科学省)で教科書調査官を務めた時野谷滋は自著でこう述懐している。49年は元朝日新聞記者、本多勝一による「中国の旅」の連載の3年後、ベストセラーとなった単行本出版の2年後に当たる

 歴史教科書における南京事件の記述を調べた明星大学戦後教育史研究センターの勝岡寛次は解説する。
 「教科書の執筆から検定までに通常1、2年かかることからすると、49年に突如、南京事件が教科書に登場したのは、朝日新聞が連載した『中国の旅』の影響なしには考えられない」

 もっと明確な形で「中国の旅」の影響を受けたのは、教科書に合わせた教師用指導書だった。例えば実教出版の教科書「高校日本史」用の指導書(61年検定済み教科書用)は、本多の著作をこう強く推薦する
 「中国での日本軍の残虐行為は本多勝一著『中国の旅』『中国の日本軍』が必読文献。とくに後者の写真は良い教材となる」
 『中国の日本軍』とは『中国の旅』の姉妹編で旧日本軍による「残虐行為」とした写真を多数、掲載している。腹部が裂け内臓が見える女性の遺体や焼け焦げた遺体など思わず目を背けたくなる写真ばかりだが、そこにも中国のプロパガンダ(政治宣伝)の影響が色濃くうかがえる。
                  ◇
 兵士が保護→婦女子狩り/鶏を購入→略奪…中国が朝日写真悪用しうのみ
 元朝日新聞記者、本多勝一の著書『中国の日本軍』(昭和47年)には、小銃を肩に担いだ軍服姿の男性らとともに、橋を渡る女性や子供たちの一群の写真が掲載されている。説明文はこう断言している。
 「婦女子を狩り集めて連れて行く日本兵たち。強姦(ごうかん)や輪姦は七、八歳の幼女から、七十歳を越えた老女にまで及んだ」
 だが、この写真は12年11月発行の「アサヒグラフ」が掲載した「我が兵士に護られて野良仕事より部落へかへる日の丸部落の女子供の群」であることが後に判明した。
 鶏2羽を肩から提げて笑顔を見せる日本兵の写真も同様だ。説明文には「ヤギや鶏などの家畜は、すべて戦利品として略奪された」とある。
 これももとは12年12月5日発行の「支那事変画報」(週刊朝日・アサヒグラフ臨時増刊)の掲載写真で実際は代価を払って鶏を購入していた。
                ■   ■
 2枚の写真には共通項がある。ともに1938(昭和13)年に中国で発行された『日寇暴行実録』に収録されていることだ。
 『日寇-』は日本軍がいかに凶悪かを内外にアピールするため、蒋介石がトップの国民政府軍事委員会がまとめた戦時プロパガンダ(政治宣伝)本である。
 2枚の写真は日本の雑誌から無断使用され、『日寇-』に転載された段階で、キャプションが捏造(ねつぞう)された。『中国の旅』も『日寇-』が使用したのと同じ写真を多数、掲載している。
 このようなずさんで誤った内容であったにもかかわらず、教師用指導書で強く推薦されたことから、本多の著書を使用した教員も少なくなかったとみられる。中国の戦時プロパガンダは朝日新聞を介して日本に広まり、青少年の教育現場に浸透していった
 ■   ■
 三省堂発行の高校日本史の教師用指導書(平成元年3月初版)は「追加史料 南京大虐殺の証言」として、本多の『中国の旅』から機関銃による住民10万人の殺害などを語った姜根福の証言などを引用している。「解説」欄では、「(旧日本軍の)2人の将校の間で、どちらが先に中国人を100人殺せるかという殺人競争」と書き、いわゆる「百人斬り」を「史実」として紹介した。
 本多は姜が語った話としてこう報じていた。
 「AとBの二人の少尉に対して、ある日上官が殺人ゲームをけしかけた。南京郊外の句容から湯山までの約十キロの間に、百人の中国人を先に殺した方に賞を出そう……」
 「結果はAが八十九人、Bが七十八人にとどまった。湯山に着いた上官は、再び命令した。湯山から紫金山までの約十五キロの間に、もう一度百人を殺せ、と」
 姜自身も示唆しているがこれは戦時中に東京日日新聞(毎日新聞の前身)が報じた記事を基にしている。東京日日で2人の少尉の撮影に携わった元カメラマン自身が「あり得ない話だ」と否定している話である。
 毎日新聞自体も元年に発行した「昭和史全記録」で、「この記事の百人斬りは事実無根だった」とかつての自社報道を否定するなど、戦意高揚のための創作記事だったことが通説になっている

 ところが、「中国の旅」の影響で、この虚構が学校の教室では「歴史的事実」とされてきた。最近では24年に富山県で行われた日教組の教育研究全国集会で、百人斬りを題材にしたこんな「平和学習」の教育実践が報告されている。
 「日本は中国に攻め入って、たくさんの中国人を殺しました」
 「戦争になったら、相手国の人をたくさん殺せば殺すほど勲章がもらえてたたえられるんです」
 百人斬りの新聞記事や写真を用いた授業を受けた生徒らは、「中国人は日本からされたことを許せないと思う」「つらい過去と向き合い、立ち向かうことが償いだと思う」などの感想を述べていた。
 朝日新聞が26年に設置した慰安婦報道検証のための第三者委員会では、慰安婦狩りを偽証した吉田清治に関する報道と類似したケースとして、百人斬りがこう取り上げられている。
 「戦争中の兵士が、勝手に行動できるのか、『審判』のいないゲームが可能なのか、少し考えれば疑わしい話なのに、そのまま報道され、相当広く信じられてしまった」
 朝日報道を「事実」と認識して引きずられ、ゆがんだ歴史観を教えた教師も、教えられた生徒も被害者だ
といえないか。(敬称略)

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